この三つのなかでもっとも人目をひくのが、華麗なる悪口の数々で、解説の中野翠は「悪態の芸術的完成度」などという言葉を使っている。ちなみに、この本は中野翠の編集で、中野翠ときいてぴんとくる読者なら、まず買って損はない。
俎上にあげられた岩下志麻やいしだあゆみ、竹村健一、小朝、木元教子、その他もろもろのみなさんには悪いが、まあ、ほんとうにすごくて、ぐさぐさと喉元につきささる。○○さんを俎上にあげたときの文章なんて、わたしが○○さんだったらドスをのんで殴り込みをかけるか、頓死している。(引用したいところだが、あえて自主規制。88ページの8行を本屋で立ち読みするなり、この本を買うなりして下さい)。
しかし森茉莉さんも、ボロアパートから少しはましなマンションの住人になったとはいえ、半開きの口のまま、死後数日たって発見されて今は亡い。「バカの上にバカを何枚上のせしても足りない、形容に絶するバカといえるだろう」というような悪態に喝采をおくっていたのだが、森茉莉の華麗な文体は、ある意味で虚構のなかでこそもっとも美しい。そのためにも、ここに名前の出たテレビタレントがすべて亡くなってしまったとき、この悪態芸術の素晴らしさはいよいよもって輝くような気がしないでもない。
と、ここで終わるつもりだったが、欲求不満が残る。なんてったって、ああた、この絶妙華麗な人物描写をひとつも紹介しないで、なんの書評よ、てなわけでして。そこで選んだのが、森茉莉さんごひいきの、長嶋さんの監督時代のベンチでのスケッチ。
【負けてくると、中学生の男の子が降誕祭(クリスマス)に万年筆を買ってくれると約束した叔父さんが、それを忘れたと言った時にするような顔をする。勝ってくると唇を一文字に結び、腕を組む。そうして(うん、いい。)という表情をする。】
この絶妙な比喩。当時の長嶋さんを知っている人は、うんうんとうなづいてくれるのではないか。