両作家の創作コンセプトが語られる濃厚な対談
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独特の用語法と語り口で作家両名が創作論を交わした文学対談。正直なところ、決して読みやすい日本語を操るお二方ではないため、スラスラ読むというのは難しくじっくり味わいたい一冊だ。
「文学と人生」というタイトルだと文学好き達による人生論や読書論の本みたいだけど、実際は小説の中にどう現実世界を連結させるかとか、随筆的筆法や私小説に関する濃厚な話が展開されており、そういう意識で創作された小説というのは、結局、彼らの作った作品がそうであったように作家の生活や人生が色濃く投影されたフィクションになる。読み進む中でやっとこの境地の話が理解できた僕は、この書名でもまあ別に問題ないんだろうな、ということにしている。
なお、解説の坪内祐三の指摘によると、小島信夫の小説「別れる理由」は両者の対談で終わっており、本対談はこの小説の続きとして展開しているという。「内部と外部」「密閉と非密閉」といった両者の語る独特な文学コンセプトがそのまんま本対談の存在に「成っている」という設計もお見事。若き柄谷行人のヤンチャなエピソードが紹介されているのも、なんか微笑ましくて面白かったです。
対話する文学/文学的対話
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小島信夫あっての森敦、森敦あっての小島信夫、実生活上は同性愛的な関係ではありませんが、文学上は両者の融和するエロスというかほのめかしというか、コミュニケーションの本質が端々に浮かんでは消え、消えては浮かび、沈着する名著、名対談集です。
これは木村俊介さんの著作で知りましたが、生前の埴谷雄高さんのことは幾多の作家、詩人、生活者が慕ったといいます。同じような匂いが森敦さんにもする。少なくとも小島さんと森さんの関係にはその匂いが濃厚にします。
たとえば、そういったことがわかる名対談集です。もちろん、それだけではなく、両者の芸の深淵を垣間見せてくれる1冊です。森さんはどちらかといえば「月山」のごとく語るようでいて語らないで、語る。小島さんは「アメリカン・スクール」「馬」のごとく迷い、語り、語ると見せかけて姿を変え、目をくらまし、容易には掴ませない。それでいて読み終えた後には濃厚なものが残る。
月山を登った帰りに鶴岡市内の書店で買って、読みながら帰りました。在来線の中で読んだのですが、読み終え、地元の駅に着いたときには、山に登った後よりも疲労困憊していました。それくらい濃厚な1冊です。ほめています。