ただ、他の方も述べられているが、全てを市民社会に直結させる
流れはハッキリ言って短絡的な感が拭えない。
近代社会と市民社会こそが人類の叡智の最終形態であり、
近代市民社会こそが全人類が目指すべき社会であるかのような論調は
どうしても疑問が残る。
冷戦も終わり、国民国家体制の変容が世界レベルで生じている中、
いまだにその国際社会にもついて行けないイスラームにこそ
衰退の原因があるとする本書は、欧米中心的な史観への回帰である。
マルクス主義の時代は終わりつつある現在において、
アメリカの個人主義思想こそが世界の最先端とする進歩史観は
パックス=アメリカーナの幻想に捕らわれたネオコンの
「唯我独尊」ではないだろうか。
著者はこのように考えていないかもしれないが、自分はこのように分析したつもりである。
「没落」だか「勃興」だか知らないが、
自分が最先端とする考えは自惚れ以外の何物でもない。
次に「イスラームの時代」が再び訪れたら、
「笑いのタネ」になることは絶対である。
これは何故なのか。この疑問は、現代のイスラム世界の混迷、特に近代化問題―「世俗主義」、「原理主義」、そして「復興運動」―の前提にある悲しい問いである。イスラム研究の世界的権威として知られるバーナード=ルイスがその回答を著したのが本書である。
ルイスは、その原因をムスリムの「唯我独尊」に求めている。ヨーロッパが技術革命や新世界進出を成し遂げている間に、ムスリムは政治的堕落と社会的腐敗という「内なる敵」に侵され始め、ヨーロッパに学ぶことも不十分なままに停滞してしまった。つまり、自己批判と自己改革に失敗したというのである。
この悲劇を該博な知識を以て実証を試みているところに本書の価値がある。また西洋文明も先行した数多くの文明―その代表格はギリシャ・ローマ文明とモンゴル帝国が伝播した中華文明であろう―から近代性を受容したと述べる率直さも驚嘆に値する。
とはいえ、ルイスの議論にも疑問の余地はある。一つ目の余地は、フランス革命と近代化とを余りにも直截に関係付けていることである。未だこれに対する有効な反論は誰からもなされていないが、西欧世界においてさえ失敗した革命によって、イスラム世界が簡単に分裂に追い込まれていくという観方は果たして正しいのであろうか。
二つ目の余地は、イスラムの真の近代化のためには、政教分離と市民社会の形成が不可欠であると示唆していることである。だが、完全な形での政教分離はフランス一国においてしか達成されていない。市民社会の形成はムスリムの自由と解放を意味するのか。
近代化は西洋化によってしか成し得ないのであろうか。この疑問は明治維新以来の日本人にとっても非常に重たかった。ムスリムはこの大問題をどう解決しようとしているのか。その解決の可能性をルイスとは異なる方向に見出せるかどうか。それがこれからのイスラーム文明の課題であろう。
去る9月28日に惜しくも亡くなられた、E.W.サイード
氏の名著「オリエンタリズム」との併読をお勧めする。
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