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イスラム世界はなぜ没落したか?―西洋近代と中東

価格: ¥2,625
カテゴリ: 単行本
ブランド: 日本評論社
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解題にだまされてはならない ★★★☆☆
 訳者達による解題では著者ルイスは「ネオコンの手先で、西欧中心主義に凝り固まった老人」呼ばわりされていますけど、ルイスの書いた本文を素直に読むとどうしてどうして。例えば、全盛期を過ぎたオスマン帝国の中にも台頭するヨーロッパの脅威を説き、対抗のため欧米の文物を積極的に導入しようとした人物がいたことについてきちんと触れられており、「頑迷固陋」とは程遠いイスラム像が本書には描かれています。またアラブの英仏からの独立闘争の際、その理論的支柱はイスラムではなく西欧の政治思想が担っていたことも初めて知ることができ有益でした。ですから、本書はそのように(日本のような東アジア諸国以上に)ヨーロッパから学ぶ機会が多かった筈のイスラムがなぜそれを逸してしまったかという問題意識から書かれた本なのです。本書はその理由(例:ヨーロッパやユダヤへの過度の被害者意識)についても述べています。そしてルイス自身は中東の中世・近世史について正統なアカデミズム的手法にもとづいた大部の著作をものにしている歴史家であり、こういった問題を書くのに打ってつけの人物であることは強調しておくべきだと思います。
 むしろ問題は、本書を誤読するおそれのある解題をなぜ訳者達がつけたか、ということでしょう。このことについての詳細な批判やそして日本の中東イスラム業界の内幕暴露については池内恵「書物の運命」(文芸春秋)に詳しく述べられていますので是非そちらもご参照いただきたいところです。イスラムやアラブへの現代社会への不適応という事実を指摘しただけで「西欧中心主義に毒されている」と過剰反応する日本の学界の一面的・閉鎖的な体質がその原因と池内は述べています。
キリスト教原理主義者にしてモダン原理主義者の横暴 ★★☆☆☆
中東史の権威ということもあって中東史の内容については比較的
詳細かつ丁寧に書かれており、一見良書に思われる。

ただ、他の方も述べられているが、全てを市民社会に直結させる
流れはハッキリ言って短絡的な感が拭えない。
近代社会と市民社会こそが人類の叡智の最終形態であり、
近代市民社会こそが全人類が目指すべき社会であるかのような論調は

どうしても疑問が残る。

冷戦も終わり、国民国家体制の変容が世界レベルで生じている中、
いまだにその国際社会にもついて行けないイスラームにこそ
衰退の原因があるとする本書は、欧米中心的な史観への回帰である。
マルクス主義の時代は終わりつつある現在において、
アメリカの個人主義思想こそが世界の最先端とする進歩史観は

パックス=アメリカーナの幻想に捕らわれたネオコンの
「唯我独尊」ではないだろうか。

著者はこのように考えていないかもしれないが、自分はこのように分析したつもりである。
「没落」だか「勃興」だか知らないが、
自分が最先端とする考えは自惚れ以外の何物でもない。
次に「イスラームの時代」が再び訪れたら、

「笑いのタネ」になることは絶対である。

近代化は西洋化によってしか成しえないか? ★★★★☆
 周知の通り、かつてイスラム文明は西欧文明が及びも付かない圧倒的な力を誇る輝かしい文明であった。その中核を占めたオスマン帝国はおそらく世界史上最も寛大な帝国であり、異教徒・異宗派の共生と共存が許され、ヨーロッパのように宗教戦争や人種差別に冒されたこともなかった。だが今では・・・。

 これは何故なのか。この疑問は、現代のイスラム世界の混迷、特に近代化問題―「世俗主義」、「原理主義」、そして「復興運動」―の前提にある悲しい問いである。イスラム研究の世界的権威として知られるバーナード=ルイスがその回答を著したのが本書である。

 ルイスは、その原因をムスリムの「唯我独尊」に求めている。ヨーロッパが技術革命や新世界進出を成し遂げている間に、ムスリムは政治的堕落と社会的腐敗という「内なる敵」に侵され始め、ヨーロッパに学ぶことも不十分なままに停滞してしまった。つまり、自己批判と自己改革に失敗したというのである。

 この悲劇を該博な知識を以て実証を試みているところに本書の価値がある。また西洋文明も先行した数多くの文明―その代表格はギリシャ・ローマ文明とモンゴル帝国が伝播した中華文明であろう―から近代性を受容したと述べる率直さも驚嘆に値する。

 とはいえ、ルイスの議論にも疑問の余地はある。一つ目の余地は、フランス革命と近代化とを余りにも直截に関係付けていることである。未だこれに対する有効な反論は誰からもなされていないが、西欧世界においてさえ失敗した革命によって、イスラム世界が簡単に分裂に追い込まれていくという観方は果たして正しいのであろうか。

 二つ目の余地は、イスラムの真の近代化のためには、政教分離と市民社会の形成が不可欠であると示唆していることである。だが、完全な形での政教分離はフランス一国においてしか達成されていない。市民社会の形成はムスリムの自由と解放を意味するのか。

 近代化は西洋化によってしか成し得ないのであろうか。この疑問は明治維新以来の日本人にとっても非常に重たかった。ムスリムはこの大問題をどう解決しようとしているのか。その解決の可能性をルイスとは異なる方向に見出せるかどうか。それがこれからのイスラーム文明の課題であろう。

一種の反面教師。 ★★★★★
数十年後には「我が闘争」と同類になるであろう本。
正確さより自らの信条を優先した本なのだから、
筆者の切れ味がどうのと言う以前の問題である。
ただ、所謂ネオコンの思想に影響を与えた、
とされている本でもある。
その意味で資料価値は現時点においても高く、
読むべきか否かと問われたら間違いなく読むべき。

去る9月28日に惜しくも亡くなられた、E.W.サイード
氏の名著「オリエンタリズム」との併読をお勧めする。

監訳者解題 の問題 ★★★★☆
 ã"のテーマは、21ä¸-ç'€ã®ä¸-界ã‚'考える時最も重要なテーマの一つであろう。
私も、かって西欧よりはるかに学è¡"、技è¡"に優れていて、又ä»-å®-教に対ã-てもキリスト教にæ¯"べて寛容であったイスラムが何æ•...没落ã-ていったかにはé-¢å¿ƒãŒå¼·ã‹ã£ãŸã€‚

 ã"の本ã‚'読ã‚"で、ルイスの分析にそれほど切れå'³ã®é‹­ã•ã¯æ„Ÿã˜ãªã‹ã£ãŸãŒã€ã"の種の議è«-ã‚'する時のスタートになる良書だと思った。

 ã-かã-、æ°-になったのが、巻頭にある「監訳è€...解題」で、ルイスã‚'「ネオコンã‚'æ"¯ãˆã‚‹æ­'史学è€...」とã-て強く批判ã-ている点である。

 私は、むã-ろã"のような議è«-が出来る学è€...がæ-¥æœ¬ã«å±...ない事ã‚'さびã-く思うのである。

 多分、æ-¥æœ¬ã®ã‚¤ã‚¹ãƒ©ãƒ é-¢ä¿‚の学è€...には、イスラムの中にå†...在するè‡'å'½çš„な 欠陥ã‚'えぐりだすç "究ã‚'ã-ているã!‚‚のはå±...ないのではないか?
 ã"れは、憲法学è€...の殆どがæ-¥æœ¬å›½æ†²æ³•ã®è­·æŒçš„è­°è«-に留まってその中にå†...在するè‡'å'½çš„な欠陥のç "究ã‚'ã-ていないのと同åˆ-であると思う。

 21ä¸-ç'€ã¯ã€20ä¸-ç'€ã‚'越える大激動のä¸-ç'€ã¨ãªã‚‹ã¨æ€ã†ãŒã€ãã®æ™‚æ-¥æœ¬ã«ã¯ã‚¤ã‚¹ãƒ©ãƒ ã¹ã£ãŸã‚Šæ°-質のイスラム学è€...ã-かå±...ないとするならば、いつまでたってもæ-¥æœ¬ã¯ç±³è‹±è¿½éšã®å¤-交ã-か出来ないのではないかと愁うのである。
 
 ルイスã‚'è¶...える辛口のイスラム学è€...よ、æ-¥æœ¬ã«å‡ºã§ã‚ˆã¨è¨€ã„たいのである。