本書を読み終えたあと最低限知っておかねばならないこと。それはラカンはサルにも五歳児にも理解できない、という単純な事実である。
少し理論的に説明しよう。ラカンの精神分析は二つの大きな柱に支えられている。ひとつは「わたしとは何か?世界とは何か?」という存在論的問いであり、これはサルにはないものである。
もうひとつはいわずと知れた性の問題である。これも五才児には理解不能だろう。こちらは思春期以降に現れてくる問題なのだから。(ただし厳密に言うと精神分析では幼児にも自体愛的な性を認めるわけだが、ここで言いたいのは他者と第二次性徴を前提とした狭義の性とそれに関する自意識のことである)。
さらに欲張って言えば本書によって「無知の知」(=無意識の存在)に気づくべきだろう。自分が理解できないことがこの世界にはまだ存在する、それはなによりも自分自身の所為なのだ、という知的謙虚さこそラカンの教えなのだから。