こういう人たちって「庶民」というの?
★★★★☆
興味深い主題を見付けたのに、あまり上手く行かなかったって感じだね、という評価あたりが適当かな。どこかオーラルヒストリー的な面白さを狙ったような、しかし、中途半端で、出来は、いまいちだったね。
いろいろ気になったことも多いが、3つばかりに絞って。
主人と従者の関係で、従者の名乗りに「姓」がなく、名前だけなのに拘って、ずいぶん右往左往しているけれど、こういう慣習って、平安朝時代に限らず、近代になる前の社会では、どこでも、ごくあたりまえに見られた約束ごとだったんだ。法制史の常識に入るかな、この問題。
今は他人に雇われるといったって、相互に対等な自由人の契約というかたちになるけれど、近世以前は、法制上の慣習として、つねに雇用は主従関係に擬制され、身分的には雇い主の家族(家父長権下)に入る「託身」という形式をとった。
今上天皇立太子礼のさい、ときの日本国総理大臣・吉田茂氏が、「臣、茂」と署名(苗字がないのに注目)して、「まだ、あいつは天皇の臣下のつもりでいる」と笑われたことがあるが、この「臣」なる文字の原義は「奴隷」のことなんで、だから、家臣は「姓」を自称しないし、呼ばれもしない。いわば、親が「姓」を付けて子供の名前を呼ばないのと同じだ。それで、退職を願うときは「骸骨を請う」と、身も心も丸ごと御主人様に捧げました、私の身体のうち、せめて私に骸骨だけは返して下さいって言い回しになるのね。
それと、仮説を立てるのは当然として、だが、幾つかある仮説の中から一つを選びとるプロセスが、かなり甘いんだな。この可能性、あの可能性と首を捻りながら、でも、次の文節に行くと、当然の前提のように仮説の一つが選ばれていて話題が進んでしまう。が、なにゆえ、そのような選択になったのか、肝心のところの説明が素っぽ抜けているところが幾つかあった。
また、あらかじめ自分には答えの用意があるのに、クイズでも出すような読者への問い掛けが幾つかあり、いかにも思わせぶりなスタイルだが、近ごろは歴史書でも、こんな表現方法が流行なのかね。ネチネチと嫌らしく、およそ気分が良くない。
なお、細かいことだが、本書の主人公の一人、「秦吉子」の夫「小犬丸」の仕える主人「源頼信」の居宅は左京一条(現在「一条戻橋」のあるところ)にあった。ほかにも、ちょっと資料を調べるだけで容易に解るはずのことを、まさか手抜きしたわけでもないだろうが、疑問符を付すのみで、やたら読者のほうに投げて寄越すような記述が目に付く。こういうのは、あまり感心しないな。
せっかく興味深いし新鮮でもあるテーマなのにねぇ。書き方の不味さで随分、損したね。