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説得―エホバの証人と輸血拒否事件

価格: ¥2,100
カテゴリ: 単行本
ブランド: 現代書館
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子供達はみな一様に美しい ★★★★★
子供たちは皆美しい、まだ大人のコントロールできなくなった、エゴに溢れ、歪み、執着に満ちた心を知らない。みな一様に美しく澄んだ心を強く秘めている。
大人のにごり、ゆがんだ心で、この美しい芽を摘む権利は針の先ほども無い。

あらゆるものは社会に出ると困難に出合う。小さなものからとてつもなく大きなものまで。
全く困難の無い現実を求めるのは余りにもナンセンスで有るだう。困難に真正面から立ち向かい乗り越えると、そこにはより強靭な精神が育ち、より広く洗礼された知性を得て、とらわれの無い心を持った精神へと変化していく。
過去に10才から数年間証人を目指した経験のある著者が、もう一度、組織の中枢まで入りきっていない末端の証人達の中に入り、できるだけ証人の目線に立って理解しようとしている姿が有ります。しかしそうした中でも彼らの中に違和感を覚えていきます。

ある信者との会話では、証人の大会で伸び伸びと活動するたくさんの証人達を見て「こんな人達と一緒ならだまされてもいいや」と思ったという。
たとえ自分が間違っていてもいい、この人達と一緒にいたい。確かにエホバの証人の大会には、そう思わせるだけの温かい雰囲気がある。とも書いている。ここに大きな鍵の一つが隠されていそうだ。
古代文章の稚拙でいびつとも思える解釈で、復活があるから現世では死んでもいい。この理論が通のなら何でも有りになってしまう。

1時間で結論を出すことができなかった聖マリアンナ医大は非常に残念ではあったが、生命の尊さを肌で感じ最も解っている医師達は、この悲しい経験を乗り越えて、今後は法的に不利な立場に立つかもしれないが、他の判断を待たずして輸血するという結論に達した。

もし神がいるとするなら、すべてはお見通しで、言い訳やエゴを見逃してはくれないことだろう。
信仰と生命。この重たいテーマに20代(当時)の若者が体当たりで挑んだ傑作ルポ ★★★★★
昭和60年6月一人の少年が交通事故に遭った。輸血をして手術を行えば助かったであろう命が、両親が宗教(エホバの証人)上の理由で輸血を拒否したことによって失われた。更に少年は苦しい息の下で「生きたい」と訴えていたことも明らかになったため両親は大変なバッシングを受けた。

10歳の頃には信者を目指していたという過去を持つ著者は、自身も信者だった少年の「生きたい」という言葉の本当の意味を知りたいという思いから教団に『潜入』、彼らと行動を共にする。その中で活動する両親から事故の話を聞くのが最終的な目的だが、それは最後の段階まで隠されたままである。

『潜入』できたということだけでも著者の真摯な気持ちが窺える。そうでなければ教義の全てを信じていないことを信者達から見抜かれている著者が、当時警戒的だった信者達に受け入れられるはずがないからだ。

信者達の等身大の姿、信仰心を中心に描いた序盤から中盤、医師達等のインタビューを基に病院でのやり取りを再現した終盤の「説得」を読むに至って、簡単にその是非を論じてはいけないのではという気になってしまった。

しかし、信者達がエイズについて雑談している様子を『皆ニコニコしている。輸血によって感染したり、同性愛が原因になったりするため、彼らはこの病気を、神からの警告とみていた。エホバの証人は、エイズの流行を世界で一番喜んでいる人達だ(第5章)』と著者が記しているのを思い出すと、無神論者である私は、結局、宗教ってそんなもんだよなと思い、両親の決断はやっぱり納得できないという結論に至ってしまう。

何故なんだ!知りたい!という若者(当時20代)の情熱が生み出した傑作ルポ。
信仰と生命。この重たいテーマに20代(当時)の若者が体あたりで挑んだ傑作ルポ ★★★★★
昭和60年6月一人の少年が交通事故に遭った。輸血をして手術を行えば助かったであろう命が、両親が宗教(エホバの証人)上の理由で輸血を拒否したことによって失われた。更に少年は苦しい息の下で「生きたい」と訴えていたことも明らかになったため両親は大変なバッシングを受けた。

10歳の頃には信者を目指していたという過去を持つ著者は、自身も信者だった少年の「生きたい」という言葉の本当の意味を知りたいという思いから教団に『潜入』、彼らと行動を共にする。その中で活動する両親から事故の話を聞くのが最終的な目的だが、それは最後の段階まで隠されたままである。

『潜入』できたということだけでも著者の真摯な気持ちが窺える。そうでなければ教義の全てを信じていないことを信者達から見抜かれている著者が、当時警戒的だった信者達に受け入れられるはずがないからだ。

信者達の等身大の姿、信仰心を中心に描いた序盤から中盤、医師達等のインタビューを基に病院でのやり取りを再現した終盤の「説得」を読むに至って、簡単にその是非を論じてはいけないのではという気になってしまった。

しかし、信者達がエイズについて雑談している様子を『皆ニコニコしている。輸血によって感染したり、同性愛が原因になったりするため、彼らはこの病気を、神からの警告とみていた。エホバの証人は、エイズの流行を世界で一番喜んでいる人達だ(第5章)』と著者が記しているのを思い出すと、無神論者である私は、結局、宗教ってそんなもんだよなと思い、両親の決断はやっぱり納得できないという結論に至ってしまう。

何故なんだ!知りたい!という若者(当時20代)の情熱が生み出した傑作ルポ。
誰もが立ち位置を問われる問題 ★★★★★
これが初のノンフィクション作品というから、著者の力量には並々ならぬものを感じる。
北野武主演のドラマで広く認知されたこの「エホバの証人事件」であるが、私自身もドラマの影響で本を手に取った一人である。
少年は、死んでしまった。すぐ目の前で、刻々と血液を失い続け、何の手も打てなかった現場の医師たち。「輸血をしないで命を助けてください」と念仏のように唱える両親。地獄絵図である。著者はまるで現場中継をするかのように、その地獄を再現してみせた。
この事件はいくつもの問題を提起する。いわく「宗教はどこまで尊重されるべきか」「未成年の子供の生命は親の所有物か」「輸血には承諾が必要なのか」「輸血は臓器移植とどう違うのか」「少年の死の責任は、誰に、どのような順で課せられるべきか」…このように、「エホバの証人事件」とは一筋縄ではいかない、複雑なものである。この題材に取り組んだ著者の炯眼には感心する。
私見を述べる。
私は、子供の生命は親の所有物ではない、と考える。特に近代国家においては、それでいいと思う。輸血に承諾が必要なのは、感染症などの可能性を否定できないからである。だが、一刻を争う場合には、承諾を得られなくてもよい、と考える。命にかかわる臓器移植には反対であるが、輸血が臓器移植と同じ意味をもつ、とは思わない。よって、輸血によって一時的に命を繋ぐことについては、否定しない。宗教は、生命の危険よりも尊重されるべきか、というのは、机の上で考えるべきではないのである。現場の医師にこそ、決定権を与えるべきである。
そして、最も責任が重いのは、院長だと考える。なまじハンパな宗教知識があるばっかりに優柔不断に流れ、よもや訴訟を恐れたのであれば、廃業していただきたい。それでも許されるとは思えぬ。
院長よ、もしも少年が目の前に現れて、「なぜ僕を両親の手から救い出してくれなかったのか」と責めたら、なんと言い訳するのですか。
考えさせられる内容 ★★★★★
この事件については殆ど知らなかったのですが、何となく購入して読んで見ました。

宗教とは近い様で非常に遠い国、日本。
宗教、信仰、そういった事を考える機会は普段殆どありません。
信仰心の為に助かるべき命を救わない。それは許されない事なのか?
その答えは万人にとってイエスという訳ではない。
人それぞれの価値観、倫理観があり。それをどこまで認めるべきなのか?
そういったことを考えさせられました。