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資本論 (1) (国民文庫 (25))

価格: ¥1,260
カテゴリ: 文庫
ブランド: 大月書店
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資本論読みなおし ★★★★★
 究めてざっくりというならばマルクスはヘーゲルの弁証法を批判的に継承し資本主義をあきらかにしたのが「資本論」である。当時主流の古典派は歴史的視点を欠いていたが、マルクスは資本主義の生成・発展・没落を歴史的視点を取り入れ分析し論ずる。唯物論を基礎とし分析を行い批判しつつも再統合するという思考様式は弁証法(正・反・止揚)の実験であり実践だったのだろう。今日あらゆる経済理論は大きく疑念を持たれる対象になっている。もはや現実社会と大きく乖離し後付の理論さえ砂の城のように脆く崩れ落ちようとしている。資本主義がこの先も世界経済の立役者であるならば再度「資本論」を読みなおしその意味と展開を考えるべきなのではないだろうか。哲学的にも最重要な本である。
 本書・岡崎訳は岩波・向坂訳に比べ読みやすいように思う。ロシアアバンギャルドを彷彿とさせる装丁もお洒落だ。ともあれ自身で手に取り読み比べてリズムが合う方を選べばいいだろう。
 ちなみに個人的な話だが少年の頃みたマルクスの写真はどこかサンタクロースとだぶって記憶に残っていた。二十一世紀になって忘れ去られた巨人は資本主義の危機の最中、行方不明の赤い鼻したトナカイをよそに自ら橇を引いてやってきたのだ。
人間社会の発展段階を俯瞰する精神 ★★★★★
この資本論は、近世の封建社会から産業革命を経て、近代・現代・資本主義社会が抱える人間の生活と労働の問題と働く喜びの乖離を考える上で、不可欠のテキストの一つと言える。また、マルクス経済学は、資本主義の成り立ち、その発展と変貌を分析する科学ですから、資本論の目的は、そう云う訳で変貌の経済メカニズムと資本の論理を冷厳に解剖した社会科学のバイブルとも呼べる著書です。しかし、本質はこの著書の前著と言える「経済学批判」の方が、より濃密に書かれている様に思う。現代のアメリカ資本主義は、フリードマンやハイエクの主張する短絡的な放任主義で、これら「アメリカ型市場万能収奪資本主義」の様な制度は、極端なる富者と貧者を作り出し、資本の論理に拠る困窮者と飽くなき強欲な金の亡者を生む。経済学の目的は、現代社会の貨幣メカニズムを解析し人間の生存の安定と調和を求めるもので無くては成らない。その来るべき克服の処方箋を示す事にある。

昨今の、諸国を股に掛ける、ヘッジファンドなどの超投機集団は、金融工学による手法で地価と住宅を煽り上げて高騰させ、自分達は売り抜けた上で逃亡し、やがて、それは内圧により破裂する環境を作り出す、是は最早犯罪であろう、これ等の犯罪を野放しにするのが、所謂、新自由主義のプロパガンダなのだ。何の規制も無い金融市場が公正と発展に貢献するなどと謂う事は、本来在り得ない幻想だ。
アダム・スミスは極めて高徳な人物であった。しかし自由な経済活動の結果として、神の見えざる手が、人間社会を最良の次元に導くなどと謂う事は決してない。人間は欠ける事多き生き物だから。資本論は、金融資本のもたらす害悪と金融恐慌を冷静に分析し、未来の経済社会の問題点を意識的に分析する為の手掛かりとしなければ為らない。永い間忘れ去られた観のある、J・Mケインズの一般理論の哲学ー計画資本主義がやはり見直されつつあるが、恐慌が起こり社会の混乱が起こらなければ、今以てして、ケインズのケの字も出なかったであろう。

ソ連が崩壊し、「資本論」は一躍人気が無くなったらしい、一部の短絡的な評論家達が言うには、資本主義が勝ったのだ?という。本当に勝ったのであろうか?そうではあるまい。ハイエクやフリードマンらの主張する、アメリカ型ハイエナ資本主義は、いずれ、破綻する性質のものだ。昔、シュンペイターは、資本主義はその成功ゆえに破綻すると、言った事がある。しかし、ソ連は本当に科学的社会主義の政治国家であったのであろうか?多くの資料が語る事を読めば、それは社会主義国家とは程遠い、基本的な人権を可能な限り抑圧した、全体主義的専制国家であつた、と言う方が正しいのかも知れない。計画経済と云っても、共産党幹部の腐敗は著しく、それは、国家の中枢部に巣食う寄生虫の集団であったのではなかろうか。

確かに資本論は、その前著ー「経済学批判」と共に書かれてから、およそ140年以上の月日が経っています。しかも、それのマルクスに拠って書かれた部分は、第一巻までであり、後はエンゲルスの尽力無くしては完成されなかった。おそらく、今の時点でマルクスが現代資本主義論を書いたならば、資本論とは、すこし焦点の異なったモノが出来るでしょう。例えば、労働価値説は別としても、産業社会論、社会階級論、貨幣論は新たに書き直される可能性はある。それは、昔よく言われた、「人間疎外」と言う言葉、人が人としての、自律性と存在価値を否定され、人は,現実に息をして生活している人間と言うよりも、「部品」や「歯車」と化して行く事が、真実味を帯びてくる時代と成りつつあるいま。例え、マルクスが、現今の時点で自著を書き直したとしても、事柄の大枠は、全く別のものとは成り得ないだろう、何故なら彼が、念頭に置いたリヴァイアサンとしての資本主義の論理は、今以てして、その飽くなき力を縦横無尽に人々と社会に及ぼしているのであるから。
凄すぎる本 ★★★★★
明確な著者名が分かっている本で、書物の次元を超えて影響力を持った書物は「資本論」しかないのではないか。兎に角そういう意味で「凄すぎる」としか言いようが無い。第二巻、第三巻は、私の能力では字面を追うのがやっとで、体力負けで正直閉口したが、第一巻は、実感を持って、凄まじいの一言に尽きる。後年「価値形態論」が凄いとか、いろいろ言われており、それを耳にした私も、そうか、凄いのか、と思っていたが、正直なところ、誰がなんと言おうと、そこは、ヘーゲルの論理学によく似ており、観念の運動としては、よく分かるし、天才的だとは思ったが、人に言われて納得しているようなところがあった。だが「貨幣」の神秘性をここで感じ取れるかどうかがセンスの分かれ目だ、とか、ヘーゲル的なところこそまさにその差異だとか、言うような訳の分からん思わせぶりなだけの気炎があちこちから聞こえてきた時は正直げんなりした。剰余価値説の件も、マルクスの生きた時代には、本質をえぐる天才的な指摘だったと思うし、いまでも有効な概念だとは思うが、このままでは、歴史的な制約が多く、今ではちょっと真に受けることは難しいと思った。だが、技術史を展開する場面や、歴史を解き明かしながら示す本源的蓄積の指摘は、資本主義の起源の本質を突く重要なくだりだと思う。とにかく、第一巻(3冊分)は、密度、筆力、内容の豊富さ、何をとっても古今無双の名著だと思う。また気を新たにして、二巻三巻も良く通読してみたいと思う昨今である。
読む価値は十分あり ★★★★★
左翼のバイブルもいまや過去のものになったと考える人もいるだろうが、いまでも読む価値は十分にある。
特に、第1巻には資本論の核である価値形態論と剰余価値理論が展開されており、資本論をすべて読み通す時間がない人は、とりあえず第1巻を読むだけでもマルクス思想の根幹にあるものを理解できる。

マルクスは古典派経済学を援用しながら、ヘーゲル哲学を克服することを通じて独自の思想体系を生み出した。だが、この第1巻を読めば分かるとおり、マルクスはヘーゲルの観念論の呪縛から完全には脱却できていない。この点を克服する試みがアルチュセール、廣松渉氏などにより試みられてきた。彼らの著作、さらには、ポストモダニズム的な観点から価値形態論の独創的な読みを展開した柄谷行人氏「マルクスその可能性の中心」などと本書を読み比べてみるとよいだろう。マルクスの限界とそれを超えた現代的な可能性が共に見えてくるはずだ。