柳田國男の『山の人生』では短い文章ではあるものの計り知れない事実の悲しさに息を飲んだ。永井荷風の『「断腸亭日記」から』では在住の岡山の地名が随所に出てきて現代から言えばやや古典的文体ではあったものの立体感がつかめて意外な感もあった。その結末にはもっと意外なかなしみが現れた。
他にラングストン・ヒューズの『大目に見られて』では肌が黒い人たちの社会と、家族との間のはかなく漂うごとくの決定的なかなしみを知った。
高史明の『失われた私の朝鮮を求めて』は又、大きな時代の所!硊??、慟哭の哀しさに出会い、人の生きる根源、悲しみの感情に到る負の感情の混沌に圧倒された。
水上勉の『親子の絆についての断想』では作者の子供時代、親となってからの絆について実直に語られ、感動的なシーンにも出会うことが出来た。
他に山田太一の『断念すること』、時実新子の『私のアンドレ』なども良く、現代を生き、迷い、かなしみ、思考が立ち止まってしまう私には本短編集「生きるかなしみ」を読めたことは幸運でした。「かなしみ」を生きるこやしにする、生命の深い奥底でともし火のごとくにするにはまだまだ人間として造詣も浅い自分だが、読後は静かにでもとにかく生きていきたくなる気にさせてくれる本書でした。