その後、もし私のリストマニアをごらんいただいた方ならお分かりのとおり、順次合計100枚以上のCDのレビューを書かせていただきました。もちろん、志ん朝師匠のCDで持っているものは、まだ全部ではありませんが、相当数書いています。ところが、不思議なことに、CDへのレビューはほとんどないのですね。大体私が、「最初のレビュー」です。前回、CDをそろえましょうと提案しましたが、どうやら、この本は買ったけれど、CDは聞いていない人が相当数いるのではないかと思えます。
この本では、円生100席も担当した京須 偕充 さんが、師匠の微妙なしぐさなどを「邪魔にならない程度に」括弧書きしてくれていますが、仮に声に出して読んだとしても、この本に収録された師匠の話芸は再現は困難でしょう。
落語は、もともと、話芸なのです。文字で読むものではないのです。この本はこの本に収録された噺を全て聞いた経験のあるものには、電車の中で読んでも再現できるでしょうが、聴いたことのない人には、師匠の真実の姿が正しく伝わらないのではないかと言う危機感に襲われました。
もしこの推測が正しいとしたら、この本は編者の意図を離れて、師匠の至芸を味わう機会を奪ってしまった罪な本になるのかもしれません。この推測が外れることを、切に願うものであります。
特にこの巻は「男と女」と題して郭噺(くるわばなし)がまとまっている。今はほとんど演じられなくなった「お直し」にはまいった。もうこれを演じられる噺家はいないのではないか。
本当に惜しまれる。そして、こんな演題を受け入れられなくなっている世の中がよいことなのかどうか、わからなくなってしまう。
「明烏(あけがらす)」のうぶな若旦那、「厩火事(うまやかじ)」の、年下の道楽者と暮らす髪結い屋の女・・・男と女の機敏をじかに感じ取ってください。
志ん朝の声がないのは悲しいけれど、読んで想うだけで志ん朝が甦ってくるようです。全六巻シリーズの第一巻。続きもお楽しみに。
ただこれは無理なことだが、前の米朝のシリーズのように、志ん朝自身のそれぞれの噺に対する感想が欲しかった・・・