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南回帰線 (講談社文芸文庫)

価格: ¥1,785
カテゴリ: 文庫
ブランド: 講談社
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「北回帰線」と「南回帰線」を隔てるのは想像力のみ ★★★★★
「北回帰線」に続くH.ミラーの自伝的小説。"死と再生と性"をテーマに、作者の魂の遍歴を高度な創作技法で描いたもの。教養はあるが、人生にも他人にも自分自身にも無頓着。自身を神に喩え、アメリカ社会を憎悪しているが、家族のために働かなければならない。そして、"矛盾(無秩序に秩序を感じる等)"に意義を見い出す。金欠で虚無的な超越者。いきなり、そうした男として登場する。

彼は電報配達人の雇用主任となるが、犯罪人に転落する多くの配達人の悲劇を単なる噂話のように語る。ここは自身の"死"を語っている部分であろう。描写は象徴的で、散りばめられた(衒学的)言辞と挿話の集まりで意図した物を表現すると言う独特の語り口。アメリカ文化を唾棄しながら、その先端会社に勤務する彼はまだ"混沌"の中にいるが、子宮・卵巣と言う"再生"のキーワードが次第に出て来る。「生れ変わる時には、ただ楽しむ事以外には、何も知らずに生まれてくる」。そして、この楽しみが"自然"に獲得される、と言うのが理想の境地ではなかろうか。だが現実は、「夜のニューヨークの街は、キリストの磔刑と死を思わせた」。直裁的に卑猥な言葉を使うかと思えば、詩情溢れる表現で場面を彩る。自在の展開である。そして、"酸っぱいライ麦パン"を中心とする幼い日々の思い出。更に"性"の饗宴。ところがある日、天啓を受けて彼は新世界へ...。異邦人、創造的、孤独の尊さ、無秩序、復活、胎内と言ったキーワードが出て来て、本作の核となる部分だが、放埓なイメージ群の中、原初的な生命力への礼賛と共に存在自身の想像性を感じた。

作者の紡ぎ出す思索の奔流に押し流されそうな想いがした。また、自伝を書くために、このような高度な技巧を使う必要はないだろう。その意味で、本作は自伝に仮託して作者の思想を総括した物と言え、その爛熟した思想と巧緻な小説作法に圧倒される傑作。
信じられぬ程の秩序感を与えてくれる〈無秩序〉 ★★★★★
『南回帰線』の末尾には〈一九三八年九月 パリ ヴィラ・スーラにて〉と記されている。ほとんど信じがたいほどだ、これが七十年近くも前の記録だとは!つい昨日脱稿されたばかりのように感じられる。すべてが理解可能で今現在のことのようだ。普遍的であるとはこのようなことなのか。

夢中でミラーの諸作品を読みふけったのは三十年近くも前のことであるが、その時もほとんど同じ程の強い手ごたえと感銘を受けたことを思い出した。作品の書かれた1930年代は大不況の下に先進国の産業構造が重工業から車や電気製品といった耐久消費財の生産へと移っていった時代だ。基本的には、今から三十年前の70年代も、まだこの耐久消費財の生産が中心となった構造が継続していたからこそ自分はあんなにも共鳴したのだろう。そして今もまだこの構造が基本的には世界経済を成り立たせているのだろうが、今回の再読で感じる共鳴は、どうも約60年周期でやってくる産業構造の大変化する時期を共有しているところからきているようなのだ。この推移の時期には混沌こそがいわば意識の直接与件なのである。あい異なる秩序が並存している時期にこそ無秩序が顕在化する。
そうしてもうひとつ言えることがある。それは、すべてを貫く共感の源は、構造の大変動をも含めたこれらの経済の一連の運動が根底においてある反復強迫をなしているということを、ミラーが、そして我々が直感しているという点に求められる、ということだ。

「私小説」 ★★★★★
作者自身と思われる語り手によって語られた作品を「私小説」と定義づけるなら、ヘンリー・ミラーだってれっきとした私小説作家ということになります。というわけで「南回帰線」は、メシ喰うおれ、クソするおれ、ファックするおれ、考えてるおれ、書いてるおれ・・・ミラーのすべてがぶちまけられている圧倒的な私小説です。「北回帰線」でも構わないのですが、個人的にはこちらの作品のほうが好みなので。