夢中でミラーの諸作品を読みふけったのは三十年近くも前のことであるが、その時もほとんど同じ程の強い手ごたえと感銘を受けたことを思い出した。作品の書かれた1930年代は大不況の下に先進国の産業構造が重工業から車や電気製品といった耐久消費財の生産へと移っていった時代だ。基本的には、今から三十年前の70年代も、まだこの耐久消費財の生産が中心となった構造が継続していたからこそ自分はあんなにも共鳴したのだろう。そして今もまだこの構造が基本的には世界経済を成り立たせているのだろうが、今回の再読で感じる共鳴は、どうも約60年周期でやってくる産業構造の大変化する時期を共有しているところからきているようなのだ。この推移の時期には混沌こそがいわば意識の直接与件なのである。あい異なる秩序が並存している時期にこそ無秩序が顕在化する。
そうしてもうひとつ言えることがある。それは、すべてを貫く共感の源は、構造の大変動をも含めたこれらの経済の一連の運動が根底においてある反復強迫をなしているということを、ミラーが、そして我々が直感しているという点に求められる、ということだ。