本書には、ヘッセが読書について折に触れて書いたエッセイが集められています。
彼は「私は数万冊の本を読みました」という読書家で、ドイツ語に翻訳されている世界中の本を読んで、インドや東洋思想にも思いを馳せた人です。
表紙にはスーツ姿で本を開いたヘッセが眼鏡の奥からジロッとこちらを睨んでいる写真が載せられており、なんだか近寄り難い印象を与えます。
世界文学を自分の書棚に並べるとしたらどのようなものが良いか、ということを述べた「世界文学文庫」という一文には、短い選定理由の文章をはさんで、延々と知らない本の名前が書き連ねてあります。いやはや、本当に近寄り難いです。
本はたくさん読みますが、ヘッセは新聞を読みません。なぜ読まないかといえば、感受性が豊かすぎて、一つひとつのニュースの背景や当事者の心情を考えてしまうからです。
たとえば、銃の暴発で母を死なせた若者が過失致死罪で百フランの罰金刑を受けた、という記事を読んだ時のこと。もし故意だったら殺人者として裁かれて監獄に長いこと閉じ込められるだろう、未開人の国なら頭を切り落とされるだろう、と彼は考えます。また、裁判官はどうやって命の値段を計算したのだろう。自分の理性と法律の間で深刻な葛藤に陥ったであろう、と考えてしまうのです。ふつうの人ならば読み飛ばしてしまうような記事に対して、こんなにたくさんの想像をめぐらしていたのでは、きっと疲れてしまうに違いありません。
ヘッセが書いた小説は、思春期の少年が悩みながら成長していくというストーリーが多く、私も学生時代に夢中になって読みました。主人公の成長過程を自分の将来に重ね合わせて考えるような読書は、中年になってしまうとなかなかできませんねぇ。
やはりヘッセは巨人だった、ということを改めて知った一書でした。