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建築と断絶

価格: ¥3,045
カテゴリ: 単行本
ブランド: 鹿島出版会
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散逸的、確率的、時間世界を考える上での教師であり、反面教師 ★★★★★
 ポストモダンと呼ばれる建築の時代からその直後までの過渡期にどのような思索が行なわれ、現代において、それがどのような影響力を持っているのかを本書から知る事が出来る。
 モダニズムがもたらした「形態」と「機能」の連続性、ポストモダニズムがもたらした「形態」と「意味」の連続性、そのような連続した関係を否定する。形態と機能は異なる次元の別々の要素であり形態のみから機能は導き出されない、非連続的な関係。形態と意味も同様に形態のみから意味は導き出すことは出来ない。断絶とは、そのような離散した関係を指す。現代社会が持っている特性を「断絶」という言葉で表象する。
 では断絶したものを、どのように建築すればいいのか?その答えをバタイユのエロティシズムで言及される「侵犯」という言葉に求める。第一部:空間はこの「侵犯」という言葉を中心に話しが展開される。聞き慣れないこの言葉は辞書では「他国の領土・権利などをおかすこと」という意味を持つ。詳しくはエロティシズムを一度読む事を薦める。文庫化されており安い買い物である。単純に人を犯すときと同様にそこには快楽がある。本文中でチュミはエロティシズムより以下の引用をしている。

「侵犯は、通常観察される限界の向こう側への扉を開くが、一方でその限界は維持する。侵犯はこの卑俗な世界を補うものであり、その限界を超えるが、限界を破壊することがないのだ。」

ここで言う、限界が辞書でいう領土や権利に当たる。そして世界が他国にでも当たると考えればいいだろう。もちろん適用できるのは国に限らず人であったり、倒錯的にモノであっても良い。断絶した不連続な関係から侵犯することで対象をおかすが、対象は一体化して消え去ってしまわずに、その領土、権利を維持する。侵犯で重要になってくるのが、その領土や権利を形成する禁止、秩序、法や構造である。侵犯によって得られる快楽、エロティシズムにとっての禁止の重要性をバタイユは以下のように説いている。

聖なる売春においては、羞恥心は儀式的になり、侵犯を示唆するようになっていたらしい。〜、女の狼狽がなければ、男は侵犯の意識が持てないのだ。演じられていようとなかろうと、羞恥心によって、女は禁止と合体する。
p.229 エロティシズム 著:バタイユ 訳:酒井健

低俗な娼婦は、禁止と無縁になるがゆえに動物の地位に転落してしまう。禁止がなければ、私たちは人間的な存在ではなくなるのだ。
p.230 エロティシズム 著:バタイユ 訳:酒井健

禁止という秩序がなければ、「動物の地位」、私とあなたの区別のない状態へと堕落してしまう。禁止があることによって断絶とそれによってもたらされる「 織された無秩序」という断絶された要素間の相互作用をもたらす関係を手に入れるというわけである。

断絶とは、ある秩序によってもたらされ、秩序はそれを侵犯することを含意している。侵犯と断絶は秩序がもたらす要素間の相互作用によって散逸的な構造を持つ事で世界を維持する。

断絶と侵犯は二項対立的なものではなく、ある「力」の二つの状態を示している。ゆえに断絶(無関係)から侵犯(一体化)まで二つの極の間に無限に状態が存在し、その無限にある関係性に対して、ある特異点からを断絶と呼び、別の特異点からを侵犯と呼ぶ、それは数学のグラフを描いて微分した値が0の点で左側がマイナス、右がプラスなら最小値と呼び、左側がプラス右がマイナスなら最大値と呼ぶ関係に近い。

第二部:プログラムから重要になってくる言葉が「力」、「暴力」だと思われる。建築から人へ、人から建築へどのような力のやり取りが行なわれて、互いに影響しあっているかを考察する。第三部への繋ぎとなるこの章は暴力とはどのようなものであり、逆に非暴力な関係性はどのようなものであろうか?と問いかけてくる。たぶん、この「暴力」という言葉はデリダによる「エクリチュールと差異(上)」の「暴力と形而上学」がもとになって発言されているように思われる。

言葉はなるほど、最初の暴力の解体である。だが逆説的に言えば、暴力は言葉の可能性以前には存在していなかったものなのだ。
p.226 エクリチュールと差異 著:ジャック・デリダ 訳:川久保輝興

建築が意味を持つのであるとするなら、建築は一つの言葉である。建築はある面ではそこにある雨風を防ぎ私を自由にしてくれる、と同時に建築は私の行動を制限する。それが機能主義としての建築でなくても、そうである。問題は機能主義かどうかにはない。われわれは暴力そのものを認め、むしろ暴力とどう付き合うべきか?を考えるべきだと考える。言葉は暴力の解体であり、暴力の可能性という二面性を持つという点が重要になってくる。

そして第三部:断絶は「ヘテロトピア」が重要な言葉だと思う。本文中で最後の方に一度だけ出て来るが、その逃走的態度が理解する上で重要だと思う。もう一つが「組合せ」という言葉。ある時の秩序が作り出す「力」による二つの要素、三つの要素、それ以上のたくさんの要素間での相互作用の組み合わせの結果として様々なバリエーションを作り出す。完全な断絶した状態、一体化したもの、中途半端なもの、などなど。膨大な組合せ問題は現在では遺伝的アルゴリズムなどによる組合せ問題として有名である。アルゴリズムによって無秩序に組み合わされた結果出て来るバリエーションから適当なものを選ぶ、並べる、もしくはそれをそのまま見せる。ラヴィレットとはそのような実験場を実世界に作り上げたもののようだ。それが成功であるか失敗であるかをここで問う意味はないように思える。そのようなものが現実の世界に登場出来たという事実、そしてその原点を如何に捉えるかが本書以降の重要な問題となったことが価値があるように思う。

チュミ以降の流れの中で日本では古谷誠章氏や青木淳氏が「空地」や「原っぱ」などと言う時、非常に柔らかい表現となっているが、そこにはチュミと同じような考え方の展開された結果と見るべき姿があると思う。本書を読むと両氏が、がらんどうのような空間や幾何学的な形態を好むのはそこに厳格な秩序とそれへの侵犯を作り出そうとする現れのように思えて仕方がない。また、ラヴィレットで抽象的なグリッドに留まった秩序を、教育というレベルまで推し進めようとするワークショップの意味が理解できるように思える。
頭でっかち ★★★☆☆
ゲンブツを見ると結構気に入ったりするんだけど、理論の方は下らないってことは往々にあるわけで(音楽とかでも)、その一人(=チュミ)という感じはする。