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勝手に生きろ! (河出文庫)

価格: ¥725
カテゴリ: 文庫
ブランド: 河出書房新社
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   もはや伝説となった無頼作家ブコウスキーが、酒と女、競馬と放浪に明け暮れた20代当時の自身の生活をもとに書き上げた長編小説。彼の小説ではおなじみの主人公チナスキーが、職に就いてはすぐに辞め、バーで出会った女と刹那的な関係を繰り返し、安宿から安宿へと酒を片手にアメリカ全土をふらつき回る。自堕落な生活を送りつつも、時折ふと脳裏に浮かぶ「おまえはどうせロクな人間にならない」という父親の声。

   舞台は第2次世界大戦前後のアメリカだが、戦争は彼にとって「せいぜいぼんやりとした現実」でしかない。行ったこともない場所で会ったこともない人間たちがどれだけ殺し合おうと、目の前の酒と女、競馬の結果の方が重要だし、毛じらみの方が大きな悩みの種なのだ。チナスキーの生き方は、一見場当たり的で厳しい現実から逃避している。だが、「自分探し」だとか「生きる目的」などというどこか言い訳めいた言葉など軽く吹き飛ばしてしまうほど骨太で強烈である。

   魅力をさらに増すのはその文体である。殴り書きのような荒っぽさの中に、せつなさを絶妙にからめる彼の文体は読む者を否応なくひきつける。ストリートで生まれ、終生ストリートで書き続けたブコウスキーの作品の魅力を、読者は生々しく感じとることができるだろう。(深澤晴彦)

就活中は決して読まないでください。笑 ★★★★★
僕はこの作品を就職活動中に読んじゃいました。笑

でも、不思議と逆に働くことに対する意義を再認識し、意欲が沸いてきました。

主人公は作家なんですが、生活はめっちゃくちゃ。
大酒を飲み、ギャンブルをし、職についてもすぐに辞め、喧嘩をし、娼婦を抱く・・・。
だけど、小説を書くことだけには純粋で、ひたむき。
アウトローだけど、主人公のそんな、一本筋の通った生き方に憧れます。

派手さや、ぶっとんだ描写はなく、ごくありふれた日常を描いているのですが、美しいです。

是非、読んでみてください。
堕ちていくのも幸せなのと〜 ★★★★☆
まぁ、これが30年後にイギリスに行って酒がコカインに変わると
「トレイン・スポッティング」になるわけだが(違)。

この作品に描かれている日々が、反復的悪夢かうる星やつら2の
永遠の学園祭前日なのかは、あなた次第。
反権力的な底辺の人間の代弁者 ★★★★☆
「酔いどれ詩人になるまえに」というタイトルで映画が公開されています。その原作です。

正直、私にとって得手な作品とは言い難い作品でした。それは、一般的な作品のような美辞麗句を並べた美文調の作品ではなく、あくまで、アメリカのブルー・カラーの視点に立って、アメリカ社会の建前と現実の違いを、生の言葉でぶつけてくる作品だったからです。
所謂「アメリカン・ドリーム」なんて夢物語で、アメリカ社会の底辺には、努力すれども報われない多くの人々がいるんだという現実を読者に迫ってきます。
そうした現実の中で、主人公のチナスキーは、酒と女と煙草と賭け事に溺れた人生を送って行きます。原題の「FACTOTUM」というのは、「何でも屋」という意味だそうですが、次々に職を転々としてゆき、この本の中だけでもどれだけの仕事が出てくるのか数えきれないほどです。
そうした中で、時々気が向けば、主人公は短編小説を書きます。「文学」は、書きたいときに書くものといった考え方が表れているようです。
そうしたダメダメ人間のチナスキーなのですが、なかなか憎める存在ではありません。それは、ギリギリのところで生活していながら、時々垣間見える他人に対する優しさであったり、上の人間たちの不正への憤りのようなものが見えるからかもしれません。
卑俗な言葉に満ちた、決して上品とは言えない小説ですが、だからこそ、反権力的な底辺の人間の代弁者としての意味を持った作品なのでしょう。
聖なる電流 ★★★★★
 一時日本でもブコウスキーブームが来ましたが、一瞬で下火になってしまいました。しかし私はブコウスキーを文学として認識し続けます。なぜなら、この人の本には文学の絶対条件「真理」と「共感」が描かれているからです。そして、彼だけの個性が・・。
「皆は子供を生んだり車を運転したりして人生を無駄にしていく・・・。」というような文章がありました。そのくだりを読んだ瞬間は、私の身体に電流が走った瞬間です。そう。文学の楽しみとこれなのです。本を読む人だけが読まない人より幸せな?理由。それは、良書に出会うことにより、この聖なる電流に打たれることができるから・・。
 単なるアウトローじゃ決して書くことのできない珠玉の名言がちりばめられた、聖なる一冊。
『ライ麦』と比べてみると ★★★★★
 たとえばボクなんかの世代にとって『ライ麦畑でつかまえて』は、それこそ聖書にも等しいスゴーイ本だった。なんだかんだ言ったって大人って、なんにも分かってないんだよな。この世の中は大人の偽善ばっか満ちあふれているじゃないか。--おそらく『ライ麦畑でつかまえて』は若い読者に、以上のような同世代感覚をもたらす、「反抗」の書だったと言っていいだろう。だからこそ全世界の多感な若者たちから(共産圏も含む)、あれだけ多くの支持を集めたにちがいない。この主人公ホールデンは大人の社会に打ち負けて、最後は精神病院みたいなところに入っている。あまりに純粋すぎるホールデンが、唯一気持ちを通わせることができるのは、かれ同様に無垢な妹だけだったという点に、サリンジャーの大人嫌いがよく表われている。

 おそらくブコウスキーの描くチナスキーの「反抗」と、ホールデンのそれとが決定的に違うのは、ホールデンには入院できる経済的基盤があったのにたいし、チナスキーのほう自分の手で食べて行かねばならなかった点である。たとえば『勝手に生きろ!』は就職課にとっては発禁処分の本である。あいにく正確な数を記録していないけれど(というより記録できないほど多いんだけれど)、たぶん3ページに一回ぐらいの割でチナスキーは失業と転職をしてるのではないか。たしかにホールデンみたいに社会に反抗して討ち死にするのも格好いいけれど、だけど生きているかぎりは当然のことながら食べなきゃいけないんだよ! だとしたら社会の「俗情」と「結託」しないで(日本の純文学版ブコウスキーとも言うべき大西巨人の専売特許)、なおかつ「俗世」で生きていくにはどうするかというのが、ボクの読み取ったブコウスキー文学の最大のメッセージである。