リズムが合わなかったが、惹き込まれる物語
★★★★☆
一段落が非常に長く、読みづらかった。
世界文学全集の1冊。
フォークナーは短編を1本読んだことしかなかった。映画『三つ数えろ』の脚本家であることは、チャンドラーファンだったのでよく知っていたのだけど、小説家としてのフォークナーにはほとんど関心がなかった。
この本を読んで最初に感じたのは、とにかく一段落が長く、読みづらいということ。原文がどうなっているのかは確かめなかったんだけど、あの長い日本語ではリズムがつかめず、読了するのに長時間かかってしまった。
特に前半のほうは、全く不調。本を読むのにあまり苦労しないほうだけど、こんなに苦労したのは久しぶりだ。
ただ、読み進めていくとそのリズムもつかめてきて、物語に没頭することができるようになると、フォークナーの描くアメリカ南部の世界に引きずり込まれる。宗教や人種、貧困。そして歴史に翻弄される人間。違うな、翻弄されているのではない。うまく言えないけど、大きな歴史の中で、この小説の登場人物たちの人生はちっぽけなものでしかないけど、確かに人間の歴史を形作っていく。彼らが架空の人物であろうと。そんなことを感じた。
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★★★★★
娯楽小説の好きな方は回れ右。
別にいわゆる「純文学」を賛美するわけではありませんが、面白さの質がまったく違うのは確かです。
訳が古めかしいですが我慢です。
「意識の流れ」という技法が使われている上、神話的スケールの人物を描くために内容はすべて伝聞、筋も前後するし、しかも話者が話し中に別のことを考え始めたり、その中でも会話が行われることもあって、大量・多種の括弧と小文字が入り乱れています。
組版担当者はよほどしんどかったはず。
そんなわけで、読むのはとても疲れ、途中で本を置いた時にはこの本そのものに辟易してしまいます。
しかしいざ読んでいるときには、面白くていつまでも終わらないで欲しいとすら思います。
幸運にもそんな読者には、膨大な「ヨクナパトーファ・サーガ」が残されています。
内容が錯綜しているので巻末の年表・人物表をたびたび参照することになり、それはネタバレをも含んでいます。
池澤氏が、内容ではなく意味こそが問われていると書いているので、それでいいのかもしれません。私はそのせいで最終章のカタルシスを味わえませんでしたが。
読むのは骨が折れるけど
★★★★★
私はこの本がフォークナー初体験でした。
イントロから息の長〜い文で始まり、それが次々と積み上げられていく印象。そんな調子がだれることなく最後まで続きます。ひとつの文章に込められた情報量の多いこと。
しかし、それでも前に前に読み続けられます。それは物語の骨格の堅固さに由ると思われます。情報がてんでばらばらに漂っているのではなく、きちんと掬い上げられて、納まるべきところに納まっている。だから読むのに骨は折れる、けど、止められない。
読みきったとき、肩が凝って「あぁ、しばらくいいや」と思ったのだけれども、しばらくしてくるとすごくどっしりとした世界として心の中に鎮座していました。どこ、というのはつかめないけれど、何か、を強く心に残す作品でした。
この物語の狂言回しであるクエンティン・コンプソンの存在を上手く掴めなかったのですが、後日「響きと怒り」を読んで少し分かったような…気になりました。2作品のネタバレになってしまうので詳しくは書けませんが、南部のアイデンティティの没落と同胞葛藤と言うテーマにおいてクエンティンにはサトペン一家のことが他人事ではなかったのだなぁと言う印象を今では持っています。
ノット・フォー・ビギナーズ
★★★★★
重たい一冊だ。
始まりから438ページまで、まったく重たい。無駄なく重たい。脂肪もついていないかわりに、重たい。力強い。ローリング・ストーンズ「レット・イット・ブリード」も、ここまで重たくはないのではないだろうか。
ヤンキー(北部アメリカ人)に敗れた、南部人たちのありのままが描かれている。暴力、嫉妬、黒人差別、インディアン差別、KKK、殺人・・・アメリカ南部の恥部が、これでもかとばかりに展開される。
誤解しないでいただきたい。ウィリアム・フォークナーは、情念どろどろの心でこれら438ページを書いたのではない。彼はいつだってクールであった。「響きと怒り」「八月の光」「エミリーにバラを」でもそうであったように、クールである。故に重たい。素晴らしい。
だからここで警告しておこう。今までフォークナーを読んだことのない人は、いきなり本書を読むべきではない。新潮文庫「フォークナー短編集」(龍口直太郎翻訳)から入るといいだろう。また誤解しないでいただきたいが、「短編集」がくだらないと言いたいわけじゃないこと。あれだって素晴らしいのだから(南部アメリカ、もしくはラテンアメリカ文芸作品に慣れていない方にはあれだって重たいと感じるだろうが)。
フォークナーがクールである証拠に、または余裕を持って本書を書いていた証拠に、本作にはいわゆる「意識の流れ」が素晴らしく表現されていることを挙げておこう。ジェームズ・ジョイスやヴァージニア・ウルフなど、フォークナーと(ほぼ)同世代の作家たちがやっていたことである。クールであるから、まったくうざったくなく、表現されている。
「私たちと日本人には共通点がある。どちらもヤンキーに負けたことだ」−フォークナーの言葉より。もう一つ、重要な言葉を挙げておこう。
「黒人へのリンチは南部でよくみられるアメリカの恥部みたいなもので、黒人作家リチャード・ライトがこれを大きくとりあげているのは当然としても、白人作家のアースキン・コールドウェルやフォークナーもこれを見逃してはいない。作家の良心ともいうべきものだろう」−龍口直太郎。
なお、「アブサロム」とは、旧約聖書に登場する人物で、父にそむいて殺された男の名前であるそうだ。