瑞々しさと爽やかさと、、、。
★★★★★
母子相姦という危ないテーマを扱いながら、爽やかな決着ぶりは見事、
ルイ・マル監督が少年の目を借りてこの映画に込めた寓意、
既成のモラルや価値観に対するあからさまな抵抗ではなく「寓話」として語る巧みさ。
映像感覚(撮影は「死刑台のエレペーター」のアンリ・ドカエ)、の瑞々しさや、
バードのビ・バップなジャズの使い方も見事で、初監督作品「死刑台・」で、いきなり
ルイ・デリュック賞を取ってしまった人だけのことはあります。
緩急自在の疾走感、エリック・ロメール作品のように会話が楽しめるシーンも。
古き良き時代(1960年代)のフランス映画らしさを持ちながら、現代にも十分通用する
作品ではないでしょうか。
近親相姦はなぜ禁忌なのか?
★★★★★
それを解明したのがレビストロースの学位論文「親族の基本構造」である。その回答は一言でいえば「クロスカズン婚」「また従姉妹婚」というのかな。ルイ・マルの答えがこの「好奇心」である。私は幸か不幸か近親に性的欲望を抱いたことはない。しかし世間ではよくあることである。私の田舎ではいとこ同士の結婚は珍しくない。人類はなぜ近親相姦を禁忌としたのか?人間とは何か?を問う大問題であると吉本隆明は書いていた。吉本は自分が孤島で近親と一緒なら「禁忌」を犯すだろうと述べている。現在の日本では特に都市の住宅事情は「孤島」に似ている。だからよくあることだ。私はまったく近親に興味はない。これはまたなぜなんだろう?女性にもてたことなどないが。「近親」でなくともたとえば組織上の異性の「同志」にも性的欲望を感じたことがない。「家族」みたいなもんだからだろうか?吉本は男女関係で「一番いいのはニュートラルな関係」だとも述べている。好きでも嫌いでもない。ギアがNの状態。私と鴻上尚史の「ヘルメットの君」のAさんとの関係か?枕を並べて一緒に寝ても何にも感じなかった。話が逸れたがこの映画では思春期の少年がママ(レア・マッセリ)と寝てしまう。チャーリー・パーカーのバップに乗せて。それが特に「禁忌」を犯したとは思えない「自然」さが不思議。それはママが美人だからだろうか?レア・マッセリはイタリアのパルチザンの「祖国は誰の者ぞ」に出ていた?高校生のとき見たから不確か。
爽やか
★★★★★
近親相姦を扱っているものの、主人公含め登場人物みなが、性に対して開けっ広げなので、爽やな印象さえ受けます。さすがフランス。