著者もいうように、日本人の一般的な観念では創造論は進化論に駆逐され、過去の人々の迷妄と思われている。しかし今でも合州国の教育現場ではどちらを教えるかで両派の対立があるという。当然ながら創造論派の方が形勢不利なわけで、こう主張する人々がいる。進化論と創造論(創造科学)は理論として対等なのだから、両方とも同じ時間だけ教えるべきであると。 カリフォルニアという土地は創造論者と進化論者がほぼ拮抗しているという。であるから事件はどちらかの派のアクションにその反対派がリアクションを起こすという形で起きている。ただラディカルな(!?)進化論者が創造論を教える学校を強行に取り潰そうとして問題になる。その手続きに問題があるとしても、正しいことを無理に行うことはよいことなのだろうか?また、かの多民族国家を束ねる強力な紐帯としてのキリスト教を弱める教説は正しいものなのだろうか?余りに当然なことなのかもしれないが、二元論の一方に対して単純に軍配を上げることの難しさを感じた。