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侍女の物語 (ハヤカワepi文庫)

価格: ¥1,296
カテゴリ: 文庫
ブランド: 早川書房
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人類の存続というのは、絶対的な命題なのか ★★★★☆
 純粋に本としては面白く読めたし、多くの人に手にとってほしい作品なので星は四つにしたが、絶対に子どもは持たないと決めている私にとって、内容は相容れない。女性の大半が子どもを産めなくなった時代、子どもを産むための道具とされている女性に同性として同情はするが、そもそも人類というのは続いていかなければならないものなのか。おのれの遺伝子を未来へとつないでいくのは生き物として当たり前の本能だが、それをあえてやめる、ということができるのは人類だけであり、それもまた進化の一つではないだろうか。優性保護と混同されるととても困るのだが、病気だの奇形だのとは全く関係なく、残さない方がいい遺伝子というものも世の中にありはしないか。
闇は昇って来る ★★★★☆
この作家が気になっているのでこれも読んでみた。すごい作家だと思う。

ボストン近郊の、ハーバードキャンパスを思わせる地域が舞台。設定は20世紀後半。ちょうどこれが書かれた時期(1985年)だと思われる。キリスト教原理主義者によるクーデタにより誕生した新国家ギレアデは女性を「生む機械」として扱い、出産能力のない女性は強制収用所を想起させる「コロニー」に送り、出産能力のある女性の一部は「司令官」の家に侍女として住まわせ月ごとの「儀式」により妊娠させようとする。ちなみに、聖書にそういう一節(子どものできない妻が侍女を代わりに孕ませようとする話)がある。語り手の侍女もまた、フレッドなる司令官の家に住まわされ、日々の行動を監視され、「儀式」に参加させられる。

と、設定は全くもって暗い。しかし、語り手は淡々と状況を受け止める。

<夜の闇が舞い降りて来る。いや、すでに舞い降りている。どうして夜の闇は、日の出のように昇ると言わないで舞い降りるというのだろう?日没のときに東を見れば、夜の闇が舞い降りるのではなく、昇るのが見えるというのに。闇は雲に隠れた太陽のように、地平線から空に昇っていくものなのだ。見えない火事からたち昇る煙のように。地平線のすぐ下に並んだ火災から、大かがり火から、燃える都市からたち昇る煙のように。> (p.349)

この箇所がなんだか印象に残った。夜の闇は、この侍女を覆う状況の比喩である。闇は、突然降りて来るのではない。われわれの「燃える都市」から、自分たちの中から昇って来るのだ。

1985年といえば、オーウェルの『1984』を想起させるが、イランで原理主義革命が起こって間もない時期である。原理主義にひそむ非寛容を非難するのはたやすいが、それがわれわれの「自由主義」陣営からいつ「立ち昇って」くるかは分からないのである。
この作品の視点 ★★★★☆
女性が抑圧された社会というのは
過去の歴史の中で幾度も存在していて、日本もそうであったし
現在もほとんどの地方ではその風習が残っている。

私の母親がまさにそのような社会体制の中で生きてきたので
この作品にはとても親近感がわいた。

英語の原文を読むことになったのだが、まあ大学生程度の
語学力があれば読み通すことなど簡単である。
ただ日本語訳のこのバージョンと原文にはいくらかの差があり
日本語化されたこの本はただのSF小説のようになって
しまっているのが残念である。

また、この内容に共感できるかできないかは読み手の位置に
大きく左右されると思う。なので星は4つ。
絶版本が文庫で復活した ★★★★★
発表当時話題にもなり、映画化にもなりました
近年絶版となっていただけに文庫での復活は嬉しいかぎりです。
この小説は近未来のアメリカが舞台ですが
エイズや環境汚染に起因する出生率の低下により
女性が子供を産む道具として扱われ奴隷のような生活を送っています。
タイトルにもある侍女は、妊娠可能な子宮を持つた女性を意味します

主人公の侍女である女性には自由はありません
妊娠する為の道具でしかない彼女の生活
ファシズム世界を行き抜く恐怖が全篇に漂い
読者である私も息を潜めて読んでしまいます
大事件がこの作品にあるわけではないのに、スリル一杯なのは
管理されてしまう恐怖を著者の巧みな旨さが背後にある作品だから

カナダを代表する作家は、日本ではあまり読まれないので知名度が低い
が、時間を割いて読んで後悔しない力作です

宗教という名のもとに~虐げられる女性たちの愛と勇気の物語 ★★★★★
近未来のアメリカ。キリスト教原理主義者たちのグループによって支配された社会。女性は一般の労働を禁止され、財産を没収され、政府の決めた僅かな種類の働き手として、各家庭に配置される。そしてその役割分担を決める上での線引きは、女性が若いか若くないか、健康か不健康か、出産可能か否か、反政府的でないか否か・・・によって行われる。

運良く出産可能、で社会に有益と判断されても、子供を産むための道具として、人間性を排除された形で他人の夫婦(子供のできない政府の高官夫婦)宅に配属され、愛の伴わない性行動のために日々生きることになる。「女に教育を受けさせるとろくなことがない」と言わんばかりに、文字を読むこともペンを持つことも禁止。自殺を防ぐ目的でガラスやシャンデリアが外されたり塞がれたりしており、言動は全てチェックされ、監視される。外出は必要最低限。常に全身と顔を覆い隠しておかなければならない。もし変な行動を起こせば処刑されるという恐ろしい世の中。観光でやってきた日本人を見て「あの人たちがうらやましい」と思う、そんな悲惨な国に変わっている。

女性の権利を剥奪し、出産のための道具にする、顔を隠す、監視される、そしてキリスト原理主義・・・・なんとなくアルカイダ政権下でのアフガニスタン女性を思いだした。宗教こそ違え、この物語がかなり前に書かれたことを考えると、この作者は現代社会を予見していたようですごいと思った。

どの国でもいつこのような理不尽な社会が成立するかわからない。小説の中ではアメリカだが、本当に近い将来アメリカで似たようなことが起こらないとは誰も言えないだろう。そして、もしかすれば、その「国」は日本である可能性だってあるのだ。

私自身、女として、アフガニスタンなどの虐げられ、権利を剥奪されて生きてきた女性たちが本当に可哀相で、自分がそういう地域に生まれなかったことは幸運だと思うし、彼女たちのために何かできることはないのか、また今後この小説のような社会を作らないためにできることはないのかを考えさせられた。