エリオットの到達点ー現代の詩篇
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詩を翻訳で読むのは、外道で有ろうか?分らない、が、とにかく、このフォアー・カルテットを西脇順三郎氏の翻訳で読んだのが最初であった。荒地、うつろなる人々、聖灰水曜日、そして、頂点と思われる、四つの四重奏。
「バーントノートン」「イーストコウカー」「リトルキディング」「ザ・ドライサルベイジズ」、此処には、世界の様々の古典と智慧の数々が、密かに溶け込んでいる。
インド・ヒンズーの思想、ヴァガバッド・ギータの哲学、ペルシア・ゾロアスターの光と火の思想、ダンテの「神曲」の言い回しが、時と永遠をめぐって、私たちの、今ここにある命の、源を訪ねるために。
薔薇の園の、乾いたプール。中に浮かび上がる幻影、木陰で戯れる未生の、或いは、是から生まれ来る子供たちの、ざわめき、「見てはならない!」と、ツグミ鳥は言う。この辺は、ダンテの神曲の出だしを感じさせる。象徴的に扱われた、死と生の調べを描いた、この詩ほど、こころ振るえる体験としての、詩の感動に出会った事は無かった。
舞踏の中心に静止がある…、とは、時が止まり、その中心には時は無い!という事か?感動的なフレーズが至る所にちりばめられていて奥深い。この詩は、そのリズムと共に暗記するほど読み込む詩だ!
ゲロンチョン、聖灰水曜日、虚ろなる人々、岩、と、何か、現代に潜む虚無を越えて、命をかけた信仰への深い賛歌と誘いを思わせる。
エリオットは聖職者ではなかったが、その家系には、僧侶が多いと云う。
この詩の数々は、古くなるどころか、益々、新しい意味を帯びて、影響を加え続ける詩の典型であろう。