<世界苦>を解明せんとする意志
★★★★☆
過日、『カラヤンがクラシックを殺した』(光文社新書)というクラシック音楽のしかも指揮者の演奏論の本を読んでいたら、<世界苦>なる大仰な言葉に接し、それこそ仰天してしまった。
<世界苦>とは「ヴェルトシュメルツ」というドイツ語のことらしいが、評者は直ちに桜井哲夫の本書『フーコー』を思い出した次第である。評者は、1996年の初出時に購入して読んでいるから、本欄の「セレクト版」ではない。
恐らく今回読んだのが3回目だが、「なぜ、人はこんなにも苦しい人生を送るのか」「なぜ、人はわかり合えないのか」と問われる冒頭から、主著解説部分にいたる後半まで、孤独な闘いをやめなかったフーコーの姿を改めて見た気がする。『言葉と物』はまるでわからなかったが、やはりフーコーは物凄い思想家だったのだろう。
他のレビューにある「資料が古い」云々は、刊行後10年以上が経過した現在、一層当てはまるだろう。学問的な進歩に疎い評者には、論じられない問題である。
しかし、夜郎自大を半分承知で言えば、本書及びフーコー自身の問題意識は「なぜ苦しいのか」に尽きているようにも思われ、あくまで入門書ということを前提とすれば、大変よく出来た、感動的な解説書であると思う。著者桜井の意図するところは、現在でも(現在こそ)有効であり、筋のよさを感じさせる。
<世界苦>とは何か? それは現実そのものを解くことによって解明される筈だ。
しかし、「なぜ苦しいのか」という問いすら失うほどに苦しい事態にあるとき、我々は敢えて<世界苦>と言わなければならないのかもしれない。音楽の演奏も生活で発する言葉も、そのすべてが世界の出来事である以上、<世界苦>はそれらに反映する。しかし、現代の消費社会に塗れ、個々の内面を広告屋やチンピラマーケティング稼業の輩に売り渡したとき、我々の言葉や演奏からは<世界苦>の影は消去されてしまっているのかもしれない。物質に捉えられる我らの精神は、その浅はかな現象形態を曝すのみである。
「神よ、彼らを許したまえ。彼らは自分が何をやろうとしているのかわかっていないのです」
彼らとは我らのことだ。
フーコーが不治の病に倒れ、60歳にもならぬ若さで死んだのは1984年だった。
「フーコー」を実践するフーコー入門書
★★★★☆
「現代思想の冒険者たち」シリーズのミシェル・フーコー編。
このシリーズはどれも、その哲学者の哲学・思想体系の解説だけでなく、その人物の人となり、人物像を伝記的にふりかえっていく
手法をとっているが、このフーコー編はまさにそのやり方がもっとも上手くはまっているのではないかと思う。
同性愛者としての苦悩や、アルチュセールやカンギレムら同時代の偉人たちとの出会い、そしてスウェーデンへの移住。それら彼の人生の、
そのときそのときに起こった出来事が彼の思想にどのような影響をもたらしたのか。その生まれた原点、零度を辿る系譜学的な様相を呈し
ている。また、伝記的なので『狂気の歴史』『言葉と物』『監獄の誕生』『性の歴史』と、彼の主著を年代ごとに追っていける。
伝記的であるため、他の学者からの『狂気の歴史』におけるフーコーの誤謬(阿呆船は実在したのかどうか?)の指摘など、彼の独創的で
魅惑的な思想の副産物とも言える思考の先走りなど、人間らしさもうかがい知ることが出来る。
それらを読むことによって、当時の思想界を席巻した「カリスマ」としてのフーコー像は崩れ去ってしまうだろう。しかし彼の思想自体
を神様のように崇め建てず、一つのディスクールとして相対化する視線を持つこと。そのことこそがフーコーの願いであっただろうし、
彼を読む者にはそのような禁欲的な読みが義務づけられているような気がする。
入り口としてはやはり良書
★★★★★
名ばかりが、あるいはその思考の断片のみが、やたらと有名でやたらと重要視されている(偏見)フーコーというのは、いったいどういう人物だったのか。またどんな本を書いたのか。
フーコーに踏み込む手がかりとしては、やはり手ごろでお勧めであろう。著者が読みこむフーコー像が妥当かどうかは、あまり問題ではない。この本に展開されている議論に魅力を感じ、さらに深く知りたいと思った人が、ここからさらにフーコー自身の著作なり、他の研究書なりを当たればいいのである。
極めて親身な記述。
★★★★★
難解で錯綜したフーコーの思想を、初心者を想定して懇切丁寧に説く。著者が社会学専攻であることも、新鮮味を添えるのに手伝っているのかもしれない。『現代思想の冒険者たち』シリーズは秀作が多いことで知られるが、本書はその中でも最高峰に位置するだろう。現在の時点で、最良のフーコー入門書といってよい。
情報が古く、記述も魅力的でない
★☆☆☆☆
フーコーの思想を知る上で、今も昔も最大の妨げとなっているのは、
伝記的事象に引き付けて彼の思想を「解説」するアプローチです。
桜井氏はこの事実に無頓着です。でなければJ・ミラーのフーコー伝
(『情熱と受苦』)の記述を無批判に引用することはないでしょう。
本人の思想と研究史についての十分な理解があれば、このような本は
生まれなかったはずです。
内容も研究動向を反映していないので古くなっています。
入門書をお探しの方は、他の信頼できる解説書を当たるべきです。