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左翼・右翼がわかる!―天皇制 西郷隆盛 三島由紀夫 日蓮 宮沢賢治 大本 オウム真理教 軍隊

価格: ¥1,365
カテゴリ: 単行本
ブランド: 金曜日
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思ひ出ポロポロ ★★☆☆☆
内容にガッカリです。はっきり言ってよもやま話です。在りし日の右翼・左翼の栄光を懐かしんで語っているだけです。いま現在の思想状況に肉迫できてません。

著者らは、旧型のイデオロギー戦士たちです。彼らはもう論壇では力を持ちません。早く引退しておとなしく若手に論座を譲るべきです。
二項対立 ★☆☆☆☆
二項対立時代最後の遺物といえそうな書物。
どれだけの人々を右翼左翼の枠組みに押し込められる
か?がポイントの本。宮沢賢治右翼説は日本の知識人
で初めての発言ということもありある意味長く残って
ほしいとは思う。
この場合、反米親グローバリズムのインド政府や中国
政府を週刊金曜日で左翼と規定してしまった佐高だけに
規準はかなり曖昧。中坊公平氏への評価もわずかな間に
革新→保守→革新なだけに・・。
右翼と左翼の歴史的系譜 ★★★★☆
 日本右翼の源流とされる西郷隆盛に中江兆民は傾倒し、玄洋社の頭山満は、欧化主義にうつつを抜かし、民権を主張した土佐の立志社を弾圧した、明治政府に対する士族反乱に呼応し、投獄された。

 このように日本の右翼と左翼は、仏革命後の国民議会での座席位置で、保守が右翼、革新または急進主義が左翼と呼ばれた起源のように、単純に分けられるものではない。
 ちなみに本多勝一氏も、既存右翼よりも右がかっていると自身で主張しているし、その文化面への主張は親米右翼から見れば極右だと言えよう。

 現在では遠藤誠弁護士が言うように、第2次大戦を侵略か正義の戦争と見るかで左右が決められているようだが、それでも他の国の縄張り荒らしは侵略で、それが左翼なら私も左翼と言った、渡辺五代目山口組組長のように、左右の線引きは難しい。

 また、右翼であっても石井一昌氏は「戦争責任は天皇にある」と公言しており、原爆投下を正当化し、米軍被害をもたらす米に対して、親米であっては自己矛盾も甚だしく、このように矛盾を抱えた色分けはナンセンスである。


 本書の殆どは、歴史的経緯等少し難しめの対談(欄外に脚注有り)で、後半で顔を隠し右翼の美学を持たず、安全地帯から投石だけをするネトウヨのような輩にも触れているが、三島や野村秋介氏のように左翼からも「敵ながらあっぱれ!」と言えるような現在の右翼には触れられていないのは残念。


 しかし保守に固執し続ければ、衰退の一途を辿るとの未来は、どの経済学者も予測しているのであり、鎖国的にどうアメリカングローバリズムに立ち向かうのかを、訊く価値はないだろうが、ネトウヨに訊いてみたいとも思った。


 
サヨク版『本日の雑談』 ★★★☆☆
 『本日の雑談』ってのは、西部邁&小林よしのりで延々と8冊出したあの対談シリーズである。彼らは自称「真正保守」であったが、こっちは自称「市民派リベラル」の佐高信と、元右翼活動家だが今じゃごくリベラルな評論家の鈴木邦男、つまり片仮名「サヨク版」というネーミングが相応しいんじゃないかな。

 本のサイズといい、各ページの下にごく基本的な人名等の脚注を入れるレイアウトといい、個人的な思い出や感想を馴れ合い的に語り合う対談スタイルといい『本日の雑談』とソックリである。

 でもまあ、他の本ではあまり取り上げられる事の少なかった、戦前右翼のインターナショナリズムや日蓮宗の果たした役割などに話題が及んでいるのは有難い。でもこれ、タイトルから想像されるような入門書では全然無い。むしろ、表紙にある個人や団体についてある程度基礎知識がないと楽しめない。その上で、鈴木や佐高の思想的スタンスを踏まえた上で「へ〜え、そうだったのか、ムフフ」と読む本です。

 鈴木が生き残った元盾の会会員を「生きる屍に近い」なんて誰も遠慮して言わない事を言うのは面白かった。でもこの人って、あとがきの文体とかでもわかるけど、結構ミーハーな人なのでは?分かり易くて良いけど、やっぱ理論より、感情の人だねー。
 対談の中でも「僕が高橋和巳で、佐高さんが魯迅、いい構図じゃないですか。わあ、中国文学つながりだ!」なんて言ってんだもん。
右翼でも左翼でもない ★★★★★
知力の左翼と体力の右翼といった感じの対談集かとおもったがそうでもなかった。
発行が金曜日でホストが佐高氏だから仕方がないのかもしれないが、鈴木氏の揚げ足取り発言が気になった。
だが、巻末の「おわりに」を読むかぎり鈴木氏は自分でも自戒気味にかなり左傾化した総括をしている。対談中も佐高氏の右傾化を鈴木氏が指摘したり、鈴木氏の左傾化発言を心配したりと、どっちもどっちの発言が目立った。
両者ともにリベラルであることに異存はないだろう。その上で敢えてわけるとすれば保守か革新かということになる。
右か左かというのは自分の立ち位置を明確にすることで何らかの庇護を受けよう(受けたい)とする輩だけが拘るものではないか?
両者ともに最終的には言葉での解決を求めようとの姿勢である。
力だけでも知識だけでもない、弁証法的な論争ができるなら右翼も左翼もない。