科学者は嘘をつかなければいい
★★★★★
●江守正多先生
メディアの報道については、僕も問題と感じる部分があります。・・・
先週見た番組でも、氷床が崩れ落ちるシーンや、ツバルの映像がイメージとして使われていました。
氷床が崩れること自体は温暖化していなくても起こるわけですし、
ツバルの浸水も現状では温暖化以外の原因が大きいようです。
イノベーションによって社会が変わらなければ・・・
いくら無駄を減らしたところで何十パーセントという幅でCO2の削減はできません。
僕は、温暖化の影響については、少なくとも将来的には深刻な問題になると考えています。
●武田邦彦先生
国立環境研究所の職員の方は、誰に聞いても同じ答えが返ってくる。
私がIPCCの第4次報告書を読んだ際に抱いた感想は「たいしたことないな」というものでした。
・・・特に日本の場合は焦って対策をする必要はないと思いました。
「活動を減らしてはイノベーションが起きないから活動を減らしてはならない」というのが私の基本的な考えです。
●武田邦彦先生
日本は海洋性気候ですから、世界のほかの地域と比べて影響を受けるようになるまでタイムラグがあるはずです。
●江守正多先生
それは確かにそうですね。同じ緯度の大陸の地域と比べると、気温上昇はマイルドでしょう。
次のステージへ
★★★★★
副題にあるように、地球温暖化に関する「脅威論」と「懐疑論」
を超えていくことを意図し、それに成功している画期的な本で
ある。
個人的には脅威論の主張に共感しつつも、それに対して違和感
を覚えていたが、この本を読むことですっきりと頭が整理され
た気持ちになった。
あとがきで江守正多が述べているように、武田邦彦が自らの問
題点を認め、メディアの温暖化報道や政府の政策にみられる単
純なメッセージへの対抗として、「環境問題はウソだ」という
ような単純なメッセージをぶつけていたと認めたことが、非常
に意義深いことのように思った。
しかし、これによって武田邦彦を否定してしまうこともまた間
違いである。
彼がなぜこうした単純なメッセージをぶつけることになったの
かもまた、考えていく必要がある。
武田邦彦の主張は本人が意図しているのだろうが、間違って消
費されてしまっているのではないだろうか。
武田邦彦の問題点と、ちまたで流通している温暖化論の両者の
問題点が本書によって浮き彫りになっていく。
また、本書を通して、武田邦彦、枝廣 淳子、江守正多の三氏の
意見の共通点と相違点が明確になって行き、読んでいてとても楽
しい。
意外なことに、思ったよりも共通点が多いことに気づくはずだ。
本書の中で実際に行っているように、読者もまた自分が「脅威論」
であれ、「懐疑論」であれ、別の立場の者の主張に耳を傾け、生
産的な議論をしていく必要があることが重要である。
たぶん、それが最も本書が伝えたかったことではないかと思う。
単純な「脅威論」と「懐疑論」はもうやめにしよう。
両者を消化して、次のステップへと進もう。
つけたすと、「これって武田邦彦イジメ??」というレビューが
あるが、武田邦彦vs枝廣 淳子、武田 邦彦vs江守正多というよう
な構図になっており、バランスを欠いていたことは確かである。
枝廣 淳子vs江守正多の議論もまた聞きたかった。
三者がかみ合った議論をするという点だけでも、非常に革新的な
ことであるので、ちょっと望みすぎかもしれないが、もう少し深
く議論してもらいたかったとも思う。
今後に期待。
科学者と疑似科学者の成立しない対話
★★★☆☆
武田先生は、科学者らしく事実に基づいて議論されるのですが、一方の江守氏は、
いかなることがあってもIPCCを「信じる」信念をお持ちの宗教者ですね。
私は、ある業務でリサイクルの実態を知ることになり、武田先生の厳しい指摘を
事実として受け止めましたので、政治・経済等の影響を排して科学的事実を追求す
るべきとされる武田先生の姿勢に好感を持っております。 先生は、決して「温暖
化懐疑論者」ではありません。 単に、科学を科学として研究されておられるだけ
で、その点が、対談相手とは相違しています。 江守氏は、最初からIPCCを「
信じて」おられるだけで、科学者としての真実を追求する姿勢が揺らいでおられる
ようです。 仮にも、科学者であれば、何物をも信じず、頼らず、普段に研究を継
続されることが大切でしょう。 IPCCがノーベル賞を受賞したから(平和賞で
すが)、国連だから、と言う権威などは科学の世界では無価値です。
人為的地球温暖化仮説が、科学的には疑問のある疑似科学であることは、欧米で
は多くの科学者の批判するところです。 徹底的に批判を加える科学研究機関や科
学者が存在し、武田先生もそうした学会に参加されておられます。 日本では、マ
スメディアの報道規制があり、世界的にも温暖化が既製の事実のごとく誤解されて
いますが、全く事実に相違します。 現在、世界的には、クライメートゲート事件
に連続するIPCCのデータ捏造や不正の報道が続いており、やがて武田先生の正
当性が立証されることになるでしょう。
書籍は、最初から対談が不可能な、対照的な論者を壇上に上げたのですが、武田
先生は真摯に対談の姿勢をとっておられるものの、江守氏は、「地球温暖化懐疑論
批判」との書籍に観られるとおり武田先生を否定される立場なのですから、武田先
生はこんな相手と対談などされずに、ご自分の主張を充分にされる書籍を著された
方が、読者にとっては、煩わしい主張を読む必要も無くてスッキリすると思います。
自分の考えを持つということ
★★★★☆
温暖化論については、「懐疑論」者や「脅威論」者のメディアでのバトルや、
情報の捏造など、不愉快な話題が後を絶たず、一体全体何が正しいのかと疑問をもっていた。
本書の中でIPCCではどのようなしくみで運営されているかなど、具体的な説明があり、
査読(ピア・レビュー)で検証された論文であれば、ある一定の基準をみたしており、
その中にはIPCCの結論と異なったものも含まれていることがわかったことは、
自分にとって収穫でした。
三者三様の考えがあり、収集がつくのかと思いましたが、いわゆる意見の対立や
潰し合いというようなバトルの部分は思ったより少なく、お互いが自分の意見を述べ、
耳を傾けながら、合意している部分とそうでない部分を明確に整理していき、
そこからさらに論点を深く話していく、という対話の手法を繰り返し、最後に整理したときに
三者の相違点は思った以上に少なく、合意点の方が多いのではないかという結果に
なったのには驚きました。
武田氏、枝廣氏、江守氏、3人ともとても真剣に現状と未来について考えている
ということと、メディアはそこを面白くするために、あおったり真実と歪曲した正しく
ない形で伝えている場合があること、そのなかから冷静に情報を選び取る技術と
他人の意見に振り回されずに自分で考えて意見を持つことの大切さが見えてきました。
それから、対話を続ける(つなげる)ことは難しいが可能であるということもわかった。
そういった意味で大変勉強になった。
本書のメインテーマと少しそれてしまうが、
武田氏は温暖化懐疑論の本を書いて、ご家族と一緒にいられなくなった時期があったそうだ。
それほど誹謗中傷がひどかったそうなのだが、意見が違うから間違っている!と嫌がらせに
近い抗議をする社会というのはどうなのだろう・・と思った。すぐに対立させて面白おかしく
情報を流そうとするメディアのあり方も、社会のひずみを大きくしていると思う。
地球温暖化を考えるロードマップ
★★★★★
一見、意見の一致が困難と思える3氏が、顔をつきあわせ、かなり正直に意見を述べている点が何より評価出来る。そして、幸いなことに、いくつかの論点については、見解の一致が見られる。編集部はよくこの3氏を扱えたものだ。
この本は、「脅威派」(人類滅亡など温暖化が科学で予測されている以上に脅威と考えている人)にも、「否定派」(温暖化というウソ・詐欺・歪曲がまかりとおっていると考えている人)にも、それまでもっていた観念に対して問題提起されるが故に、不快感に近いものを覚えるかも知れない。一方で、両極端の態度を脱して、落ち着いて温暖化の問題を見ていきたい読者にとっては、ロードマップとなり得る。また情報リテラシーかつ温暖化についての知識が<本当に>備わっている人にとっては、「もっとも」「やっぱり」と頷ける内容となっている。
はじめに、温暖化のサイエンスの部分、すなわち(1)地球の気温上昇、(2)気温上昇にCO2が関与していること、(3)IPCCの予測とその確かさは、紆余曲折を経ながらも、武田氏も同意している。
一方で、対策面については、世界の100年に視野をおく枝廣氏と江守氏と、日本の30年に視野をおく武田氏の論点の相違が目立つ。また、CO2の排出減と経済発展は両立しうるのか?など、各論者がどういう見解をもってこの鼎談に挑み、どう論議されているかは本書を実際に読まれたい。その上で、読者自身で「思考」を始められると良いのではなかろうか。
さて、この本の中で一番印象深いのは、人が情報に接する際の「思考停止」についての論議である。メディアの情報を受け入れる?いや、メディアの論調を批判する情報を受け入れる?いやいや、どちらも受け入れずにいる?一体どうすればよいのか?すなわち、情報リテラシーとは何かについて論議するくだりは、科学の理解をどうやって一般の人に伝えるかの各論者の方法論とあわせて、圧巻である。また、「自由な発言」と「好き勝手な質の低い意見」を弁別する重要性も指摘されている。
次に印象的なのが「お上」「金」への各論者の見解についてである。「お上が決めた」事に対して、どう対応するべきか?また、各論者が「お上」や「金」についてどう対処しているのか?が述べられている。
最後に、各論者の<意外な>発言内容にも触れておきたい。江守氏は、こんなことまで正直に言って、温暖化を脅威としている人たちから睨まれるのではないか?という事も臆さず述べている。例えば、IPCCの政治性、世間では大げさに影響を捉えている事への懸念、さらに、現状の環境省の「エコ」事業の効果にも疑問を呈している。江守氏がこれらになぜ疑問を呈し、どうあって欲しいと考えているのか?は本書で述べられている。
一方の武田氏も、メディアの大げさな報道へのカウンターとして、著作では極端な表現をしていたことを認めたり、若干の訂正に同意するなど、一定の歩み寄りを示している。個人的見解をここで挟むが、このような至らない記述になった原因を、他者に求めている点は気になる。しかし、この歩み寄りの姿勢は評価されてよいのではないか。
この書を契機として、温暖化を巡る情報リテラシーを考えていかれてはいかがだろうか?