言いたいことは分かるが・・・
★★★☆☆
知識の詰め込みではなく、実践・経験主義。
ごもっともな理論ですが、ある程度座学も必要ですよね。(現代のゆとり教育
問題にも関係していると思います)
要は知識と活動とのバランスが重要だと思いました。
この教育が現代に影を落としている
★★☆☆☆
アメリカのプラグマティズムの典型的な教育方針を述べています。著者は子供の生活や行動や心理をよく観察して、それを子供たちが社会に巣立つときの役に立つような教育論を展開しています。たとえば、なぜ技術家庭科や音楽や理科の実験が必要かなど。
しかし、現代の教育でこれに従っても、すべての人には受け入れられないと、予想されます。アメリカを中心に世界が動いていた時代の産物であり、日本の高度成長時代には受け入れられたでしょう。工夫して勉強すれば、何もかも、うまくいくと考えている教師には必携のテキストですが、これを丸ごと当てはめれば、ついて行けない子供たちが出てきます。それに対する考えも磨いてほしいです。
この本を簡単に言えば、成功した会社の社長や受験戦争を勝ち抜いた人たちの意見かな?
納得の主張
★★★★★
古典ながら、今尚実践されようともしていなかったのではないかと思えるほど、現代の教育を受けた者としては、唖然とした。つまり、現代教育の理想としてそのまま通用すると素直に思えるからである。本書を読むと、一体教育者は何をやっているのかと遅ればせながら思う。それほどに、本書の確信をつく主張は曲げることができないものなのであろう。
内容に至っては、極めてシンプルであり、小難しいところはほとんどない。
見ようによっては、自己啓発書としても通用するのではないだろうか。もちろん、その際は現代教育の実体、在り方に失望することとセットだが。
このように、思うと学校という教育の現場もいかに社会の大人の縮図たる、学校外の権力意識、に追従して成立していたのだろうことが思いやられる。
いずれにしても、本書を読むことを通して、新しい自分の教師像が浮かぶような気がした。
教育学の古典足りうる1冊
★★★★★
プラグマティズムの集大成者で教育理論家でもあったジョン・デューイが、シカゴ大学に併設された小学校で、教育実験をしながら、執筆されたのが本書である。既に1世紀以上昔の話だが、中身は未だに古びず、10年近く前にわが国の文部省が推進し始めた「総合教育」の意図も説明されている。教育の目的を受益者から逆に読めば、「不易」な観点で目標を設定できよう。これを忘れる限り、教育政策は画餅となる。戦後の教育政策は死屍累々のはずだが、官僚や政治家が無知なので自覚がない。数十年以内にノーベル賞受賞者数十名などという愚かしい目標を掲げること自体、無知無教養を曝け出している。教育など語る資格はない。そうした愚考を食い止めるために1世紀以上昔に実験され、集大成された実践的教育論。デューイらしく緻密な描写と記述が教育と社会との距離感を精確に描いていて、素晴らしい。教育学の古典足りうる1冊。
日本の教育はようやくデューイを理解できるようになったか
★★★★★
欧米、とくに北米からの帰国子女やその親たちが、日本の教育に感じる不満の根源がどこにあるかあらためて教えてくれる本です。戦後の日本の教育界ではデューイの影響が大きかったといわれますが、もし本当にかれの考えが真剣に取り入れられていたら、そうした不満は起こらなかったでしょう。教育の基本は、責任ある民主主義社会のメンバーを育てることにあるというデューイの基本主張は、いまようやく日本でも理解される土壌ができたように思います。『民主主義と教育』と合わせて読み直されるべきでしょう。