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イタリア現代思想への招待 (講談社選書メチエ)

価格: ¥11,442
カテゴリ: 単行本
ブランド: 講談社
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招待されてみたら敷居が高すぎた・・・という本 ★★☆☆☆
本書は“羊頭狗肉”そのものの書であって、つい最近ヴィルノやマラッツィの著者を読んでイタリア思想に目覚めた当方からすれば不親切この上なし、著者の岡田温司を信用していただけにガッカリである。

雑誌に連載されていた論考をまとめたようだが、イタリア原語を解する訳知り向きの本に見えて、《メチエ》の1冊としても具合が悪いのではないか?
「補遺コラム」のほうが、まだしも参考になるが、やはり全体としてはもう少し網羅性と通時的な解説が求められよう。せめてグラムシ以降のイタリアの歴史的、思想的変遷を踏まえ、なぜネグリやアガンベンが登場してきたのか、彼らの思想的な意義や課題とは何かに応える必要があると思われる。そうしたものが皆無とは言わないが、入門書(=招待)には全然なっていないのである。

1点だけ、イタリアン・イデオロギーにおいて、美学の占める位置が大きいという指摘にはなるほどと膝を打つ。ただし、そこをもう少し跡付けて欲しかったのだ・・・。

それと初めて見る思想家の名前が少なくなかったが、写真くらいは載せられないのかな?

岡田のファンだけに★2つは大甘になってしまっている。
イタリア現代思想の魅力と限界 ★★★★☆
本書は、「近年わが国でもにわかに脚光を浴びつつある…イタリアの現代思想…」(8頁)を紹介している。さて私なりにイタリア現代思想(以下、伊現代思想)を、独、仏と比較させて頂くと、まず独と言えば、観念論的で難しいが、その難しさは、カント、ヘーゲル、ハイデッガー等いずれも解きほぐされると、実に論理的で明快である。ところが仏現代思想、つまりフーコー、デリダ、ドルゥーズ等は、独思想的な意味での、概念把握が困難であり、つかもうとすればするほど逃げる、ウナギのような思想に感じる。私にとって伊現代思想は、後者の類に属する。非常な興味を持って本書を読んだが、読後、では伊現代思想とは何か説明せよ、と言われたら、言葉に詰まってしまう。一方、「薔薇の名前」「フーコーの振り子」のエーコに代表されるような、伊の思想的文学作品における、その美学と迷宮性には、強烈な魅力を感じるし、読後感も、「腑に落ちる」。あくまで個人的な感想だが、伊現代思想は、哲学よりも、文学作品の方が、しっくりくる。

最後に、私自身一キリスト者として興味深く読んだ、本書第三章「キリスト教の/への問い」における、キリスト教をめぐる伊現代思想の思索について触れたい。この伊特有の思想では、西洋の形而上学と結びついた神の存在証明に代表される「強い思考」に対抗して、十字架で嘆くキリストや、神のケノーシス(神性放棄)、ヨブ記等、神の否定性、敗北、弱さに積極的意義を見出そうとする。私見では、一方聖書にポリフォニー的要素があるという意味で、伊現代思想と呼応し得る側面があるが、他方聖書には、中心の喪失、絶対者の喪失という伊現代思想的特質はなく、むしろ絶対的主権者としての神の圧倒的存在感は明らかである。また伊現代思想は、解釈学的に問題の残る釈義を前提としているという難点もある。ゆえに伊現代思想とキリスト教の間で、対話や部分的呼応はありうるが、全面的同意はありえないだろう、と思う。