「永遠の生」もあるのかも
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この本を見つけて、読んでみたいと思ったのは、村上春樹「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」の世界が垣間見えると思ったから。
村上春樹のこの作品の中で描かれる「世界の終わり」の章は、「ハードボイルド・ワンダーランド」を生きる「私」が、「博士」によって脳機能がループしたような状況になり、外見は昏睡しながらも、本人は自らがつくった「世界」の中をずっと生き続ける、と言うもの。人のからだ、脳には寿命があっても、脳自身は、時間を自分で刻んでいるので、自我の観点から見れば、永遠の生を自分の脳の中で生きることができる、というのが、小説の設定であり、「世界の終わり」と名付けられた壁に囲まれた世界で、主人公はそこから出ていくチャンスを自ら捨てて、静かな日常を生き続ける。
「昏睡days」の有田さんが、昏睡の期間に過ごしていた「静かで楽しく、春のような世界」は、まさに「世界の終わり」であり、もしかしたら、「彼岸」かもしれない、と感じる。
脳って、ほんとに自分勝手というか、感覚器官からの情報を都合よく解釈して、自分の世界を生きることができるらしい、ということに、僕たちは希望を見出してもいいのではないかと思う。
というような文学的・哲学的考察とは別に、現実の有田さんの闘病生活を見て、外見がどれほど絶望的であっても、生きている限り、再び「健常者」として生きることもできるのだという可能性を感じます。今この瞬間にも、どこかの誰かが、事故や病気で意識を失った状態で静止をさまよっていると思いますが、見守るご家族には、ぜひこの本を読んでもらいたい。たぶん、大きな希望を得られると思うし、僕自身、家族にも読んでもらいます。(by paco@<おとなの社会科>)
空をみたくなる作品です
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昏睡に入った著者がすごした日記のような記述と、寄り添うお母さんの手記が、同じページの上段と下段に掲載されている。同時進行していたとはとは思えないほどかけはなれた2つの世界。やがて著者の意識がもどってからは、ひとつづつ現実を理解していこうとする姿が身近なことばで語られ、ともに喜んだり心配したりするお母さんの手記と一致していく。ひきこまれながら読み進めていくうちにふと気づいた。後半は、お母さんの手記がなくなっていった。その代わり、不思議なことに、ご両親も含め、著者を見つめていた周りのいろいろな方々の声が聞こえてくるようだった。まなざしのなかで、著者は発見や感じたことを伸びやかに表現している。伝えてくれて、書いてくれてありがとう!思わずそういいたくなる一冊だ。
信頼できるドキュメント
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昏睡状態の人を見舞う時、どのような心持で向かえばよいのか…。
話しかけても届いているものか。そんな局面に立たされることは決して他人事ではありません。
かつて、重度のくも膜下出血で倒れた経験がある著者が、「意識のない世界」を綴った本です。
この本のすごいところは、記憶を頼りに書かれただけでなく、
当時のカルテを開示してもらい、主治医、看護師らの寄稿や、家族の日記を時系列で掲載しているところです。患者、家族、医療、介護の多角的な視点からのドキュメントになっているのです。
当事者しか知りえない(分かり合えない)ことが、互いが補完する形で、綺麗事だけでない実相を浮かび上がらせています。
しかも、重くなりがちなテーマにもかかわらず、一気に読ませる、ユーモアのセンスさえも感じられるのは、筆者の人柄でしょうか。難しい医学書でも、怪しい宗教書やオカルトでもない、等身大の良書です。きっと、多くの人が勇気付けられるとおもいます。
医療従事者にも読んでほしい
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昏睡状態にあるとき、人はなにかを考えたり感じたりしているのだろうか?
自分の家族や大切な人が昏睡状態に陥ったとき、周りの人間は一生懸命"声"をかける。
だけどそれが届いているかどうかはわからない。でもあきらめてはいけない。
有田さんは22歳の時に突然のくも膜下出血で昏睡の日々を送り、奇跡的に意識を取り戻し
現在は不自由はあるが元気に暮らしている。いろんな夢もかなえている。
有田さんの昏睡の日々は、いつもどおりの平凡な日々だった・・。
この本は、有田さんの昏睡の日々の記憶、看護するご両親の動揺や葛藤が綴られた日々の記録、
主治医の診療録をもとにした手記と、担当看護師の看護記録をもとにした手記などから構成されている。
主観的かつ客観的に読むことができ、新しい世界を知った気がする。
昏睡状態にある人も意識下ではふつうに生活をしているかもしれない、そんな事を
医療従事者や現在昏睡の日々を送る人の看護をしている方たちに知ってほしい、そう思った。