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日本の愛国心―序説的考察

価格: ¥1,995
カテゴリ: 単行本
ブランド: エヌティティ出版
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元々愛国心やナショナリズムには二面性がある。日本は単純化しすぎて左右の議論は平行線。しかし根は同じという啓蒙書。 ★★★★★
 愛国心という言葉について正面から取り組んだ著者は、この言葉の前に立ちすくむ人々に対して、絡まった糸を解きほぐしていく。その過程は見事の一言に尽きる。

 左派は愛国心を侵略戦争を引き起こした原因と捉える。自由と平等の心を教育する一方で、国歌・国旗には心の問題だから教育しないと二枚舌を使う。

 右派は、左派への脊髄反射として愛国心を訴え、アジア解放論を持ち出す。しかし、当時の日本と同じ状況のイラク戦争でアメリカ側に立って恥じることもない。

 しかもいずれの単純な見方も、東京裁判史観を受け入れて軍事・外交をアメリカに丸投げした結果から生じている矛盾。

 著者は日本人の精神のこの分裂の原因を明治維新にまで遡る。西洋の世界支配に対抗するために西洋文明を導入する矛盾に日本精神は引き裂かれた。日本精神の敗北を見越した上での近代化だったのだから、西洋との衝突と敗戦は日本的に不可避だったとも言う。

 なお、本書前半の愛国心や愛郷心、ナショナリズムといった精神と近代国家の詳細な解説も価値ある解説だ。ナショナリズムは国民主義である。国家主義のステイティズムとは異なる。
勝海舟の想いとの相同 ★★★★☆
この本を読んで真っ先に思い出したのが勝海舟でした。
幕末から明治を生きた勝海舟という人格と彼の考えた「くに」への想いとに、
つよく相同するものをこの本に見出すことが出来ます。

<いい国つくろう鎌倉幕府>以来、明治維新まで約七百年間、
日本という国は天皇統治の国家であったというわけでも何でもありません。
更にいえば、
世界の中の日本であるとか、世界の他に類を見ない何者かをもった民族であるとか、
そのような意識は明治政府以降、就中、日清日露の戦争以降に芽生えた、
まだ百年しか歴史のない新米(しんまい。「しんべい」ではない)思想です。
それ以前の日本は此様な狭量な右翼思想とは無縁の、いい「くに」だったと思います。

そのような「くに」であった日本への、後ろ髪引かれるような愛国心。
反対に、明治政府の浅薄なイケイケ・ドンドン主義への漠たる不安。
勝海舟が百数十年前に感じていたのと似た感覚を、
この著者は抱いているのだろうと思いました。
いわゆるウヨは大嫌いですが、この本は良書だと思います。
愛国心の種々相が紹介されている ★★★★★
 今日、「愛国心」を論じることは難しい。この難問たる所以は今に始まったわけではないと、戦後日本の二重価値国家をナショナリズムの評価から論じている(第1章)。ついで、微妙に違う表題「愛国心(パトリオティズム)」と「ナショナリズム」「愛郷心」の概念を鮮やかに比較している(第2章)。更に論を進め、愛国心の教育を素材にして、西欧的近代国家の「愛国心」の意味を概観している(第3章)。以上はさておき、著者の本領が発揮されるのは後半3章である。
「負い目」をもつ日本の愛国心…三島由紀夫と吉田満の「戦後」、保田與重郎の「万葉の精神」、小林秀雄の「戦争」など独特の愛国心に切り込む。
歴史観という問題…靖国問題について、「あの戦争」をどう捉えるか、東京裁判をどう受け入れるか、どちらかに加担するのではなく、意見の対立する論点を究明しようとしている。ただ序論である本書の性質上、これに続く論拠の詳述が望まれるところである(第5章)。
日本の歴史観と愛国心…福沢諭吉の近代観、西田幾多郎の歴史観、保田與重郎の思想のもつ意味、そして再び「日本の愛国心」の意味(第6章)を問う。
 著者は「愛国心とは」とその必要性を訴えたりするものではなく、個々の具体的論陣を紹介し、この国のことを考えたかを解き明かそうとしている。その誠実さを買いたい。個々人の「愛国心」観に迫れる一書である。(私はここで個人的好みは控える)

 
はかなく散りゆくものへの慕情 ★★★★★
著者は2007年正論大賞を受賞しているが、本書は安易な右寄りな著作ではないぞ。

現代日本における「愛国心」という言葉に対して誰もが持つ(潜在的に持っていると推測する)アンビヴァレントな感覚を、言葉で丁寧に説明しようとしている。

愛国心を「市民的ナショナリズム・民族的ナショナリズム」とに分けて考察を進めながら、国家には愛国心は必ず教育される必要があると断言。

昭和の戦争を「自衛戦争or侵略戦争」と単純な二元論で捉えることに異論を唱える。ペリー来航以来、自主自存を目的とし日本が近代化に踏み切らざるを得なかった論理的帰結が、侵略と敗戦であり、現代日本人が持たざるを得ない「愛国心のアンビヴァレンシー」であるとする。そしてこれは避けることのできない国家の運命だったと悲しげに語る。最後に西田哲学に代表されるような京都学派的な禅的な叙述で締めくくるあたりに、著者の「近代」というものに対しての絶望がひしひしと伝わってくる。

単純な愛国心高揚vs反愛国という不毛な議論。でも、この「はかなく散りゆくものへの慕情」こそが著者の持つ「日本の愛国心」なんだろうなぁと感じた。