前著と比べて目につくのは、「山のあなたの空遠く 『幸』住むと人のいふ」(カール・ブッセ 上田敏訳「山のあなた」)「秋の日の ヴィオロンの ためいきの」(ヴェルレーヌ 上田訳「落葉」)といった訳詩や翻訳文が大幅に加えられていることだ。翻訳とは、もともと、ことばとことばのぶつかりあいなのだから、研ぎ澄まされた日本語が生まれるのは、むしろ当然だろう。次の機会にはすぐれた翻訳文をもっと紹介してほしいものだ。
また、「牡丹燈籠」など、おそろしい話ばかりを集めた章もおもしろい趣向といえる。テレビなどでは心霊話が相変わらずの人気だが、力強い日本語だからこそ、より怖い。考えてみれば、「怖い話」こそ、身近な語り物の代表なのだ。この本を片手に、家族が怪談などに興じるようになれば、著者も本望だろう。語られることばが豊かであるということは、人と人との結びつきもまた、豊かであるということかもしれない。生き生きした日本語の数々を見ているうちに、ふとそんな感慨にとゐ
この格調とは現在の日本での意味とは違う。詩文の形式的な部分を指し、リズム・詩形・修辞などを意味する。そして、彼らは格調の一番高いものが上記の詩文だと規定し、それを忠実に模倣すれば、名詩・名文が書けると主張したのである。
だがよく考えればこの主張がおかしいことはおわかりだろう。当然のことながら、詩文の良否を決定するのは格調ではなく「性霊」(精神・情緒・発想などを指す)であり、模倣では良い作品など作れないという非難がその後の時代にわきおこり、彼らは文学を貶めたとさえ言われ、世の中から消え去った。
なぜ、上記の歴史を例に挙げたのかお分かりだと思うが、本当にこの著者の主張は正しいのだろうか?著者の選んだ名文を暗誦すれば、日本語の理解力が上がるのだろうか?
男文字の「漢字」、女文字の「ひらがな」が作り出した世界一美しい日本語。それだけに、日本文学は世界的に見ても、最高峰にあるといえる。厳選されているだけに、本書に収められている文書はどれも朗読・暗誦にはもってこいだ。あとは、ブーム(好評)にのらず、著者の確固たる信念をもって、厳選し、テキストを作り出してほしい。あせらず、いいテキストを作ってほしい。