明治の初版以来、多くの人々に読まれ続けてきたロングセラー『学問のすゝめ』。本書はその現代語訳版である。
「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」という有名な一文に始まり、「『人の上に立つ人』の責任とはなにか」「法律の貴さを論じる」「人望は人間の大きさ・仕事の大きさに比例する」など、政治や法律の問題から個々人の意識に至るまで、あらゆる面に言及している。
本書がこれほどまでに長く人々に読まれ続けている理由は、その内容の普遍性にある。ここで述べられている内容の多くは、現在でもその輝きを失わず、読む者の胸に迫ってくるものである。たとえば十五編の「もし西洋と日本が逆だったら」の部分は、国際化時代に生きる現代の我々にも示唆を与えてくれるし、十四編の「人生の『損益』計算のしかた」は、いま生きているすべての人々が共通して意識すべき内容であると言える。
本書は現代語訳であるため、文語特有の趣を味わうには物足りない部分もある。だが、文語で読むのがおっくうでこれまで読まずにいた、という人にとっては、この貴重な書に触れる絶好のチャンスであると言えるだろう。文語体の趣を味わいたいという人には、岩波文庫の『学問のすゝめ』をおすすめしたい。(土井英司)
勉強すべき
★★★★☆
現代語訳版でとても読みやすかったです。
これを読めば「勉強嫌い」「勉強なんて意味ない」なんて言えなくなります。
いえ、言ってもいいのですがこの世に生まれた、しかも勉強の出来る裕福な「日本」に生まれただったら人のために尽くさなければいけない、と考えさせられました。
この考えを100年前の人が言ってたなんて。
やはり福沢諭吉は偉大だと感じました。
ほとばしる強烈な情熱。そして、現代語訳というのは助かります
★★★★★
原文は当時としては簡単な読みやすい方に属する書物らしいのだが、現代人にはちょっと敷居が高い。したがって、現代語訳は大助かりである。これなら、すごく読みやすい。考えてみれば当然だが、慶応出身の教授による現代語訳である。
しかし、けっこう強烈な内容の本だ。明治維新を駆け抜けた俊才の迫力が伝わってくる。はっきりいって、「ドラゴン桜」の桜木より凄い。超アグレッシブで、硬派で、快活で、そしてシンプルに、時代を超えて読者の向上心とハングリー精神をあおっている。すっかりものわかりがよくなった今の大人たちにはなかなか見られないエネルギーが伝わってくる。
骨子はシンプルだ。人間は元々皆同じように何も知らずに生まれてくるのであって、その後にちゃんと勉強するかどうかで差がつくのだ、だから勉強しなさい。そして、どうせ勉強するなら、和歌とかよりも、物理や経済や工学などの役に立つ学問、「実学」の勉強に力を注ぎなさい、という。何より、なぜ勉強しなければいけないかを、幅広い視点から、素人にもわかりやすく説いている。そう、この「なぜ勉強しなければいけないのか」について、広い視野で、説得力ある言葉で語れる人が、現代の教育の現場には少ないのだ。
一見すっかり豊かになってしまった現代の日本。しかし、相変わらずこの国には資源もなければ、国土も狭く、食料自給率は40%そこそこで、国の借金は膨らむばかり、そこへ元気な中国など昨日まで貧しかった国々の激しい追い上げが加わり、さらに少子高齢化が追い打ちをかけている。一方、明治時代の日本は、実は石炭と食糧くらいはちゃんと自給できていたし、教育に多額の国費を投じていて、若い人がたくさんいた。実は、今の日本人はより強い危機感を持っていてもおかしくはないような状況にあるのだ。
本書を読むと、昔の気骨ある日本人の活力の一旦に触れて気持ちが引き締まる思いがする。なぜ学ぶのか、なぜ学ばなければならないのか。この普遍のテーマに時代を越えて直球勝負で語りかけてくる。お勧めである。
岩波文庫は無理でした・・・。
★★★★★
生まれたからには必ず読まなければいけない書物として藤原正彦さんの著書にあったので、「そうだよなぁ。これ読んでないと恥ずかしいよなぁ。」と50を越えた今になって読みました。岩波の明治古文版を購入しましたが、無理でした。意味が判らんとでしたわ(^^;。恥を忍んで改めて本書の現代語版を購入、内容を云々語っても己の無知を開示するだけのことですが、「天は人の上に〜」の意味が今になって始めて判りました。人間平等が主旨ではなかったんですねぇ、誤解してました。それが判っただけでも有り難かったです。恥を掻かずに死ねるというもんですわ。
いつも笑顔でいたい
★★★★★
我が家の躾の大方針は、
いつも笑顔でいられる人間になる
ってことです。
ぼくも妻も率先して笑っています。
笑うためには心に余裕がないといけません。
心に余裕を生むためには努力も欠かせません。
経済的にも精神的にも肉体的にも健康、健全じゃないと笑顔は生まれないと思っています。
逆に、常に笑顔を心がけていれば、経済的にも精神的にも肉体的にも健康、健全になっていくんだと思います。
100年以上前に福沢諭吉先生もこう言っています。
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顔色や容貌を、いきいきと明るく見せることは、人間としての基本的なモラルである。
なぜなら人の顔色は、家の門口のようなものだからである。
広く人と交際して、自由につき合うには、門をひらき入口を清潔にし、客が入りやすくすることが大事である。
ところが、本心は人と交際を深めたいのに、顔色に意を用いず、ことさら渋い顔つきを示すのは、入り口にガイコツをぶら下げ、門前に棺桶を置いているようなものである。
これではだれが近づくか。(檜谷昭彦訳『学問のすすめ』三笠書房¥1300-、204p)
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人生山あり谷あり、晴れたり曇ったりです。
多少の嫌なこと大変なことはあるのが当然だし、嫌なこと大変なことを克服するから人間も磨かれる。
笑顔でいれば、多くの人が集まってきて協力もしてくれることでしょう。
困難を笑顔で乗り越えられるような、わが子達にはそんな人に育っていってほしいと願っています。
言わずと知れた
★★★★☆
旧い封建制度が終わり、我々は政府と同等の立場に立た
なくてはならない。そのためには学問が必要である。
明治初期に書かれたとは思えないほど、福沢諭吉は民主
主義を深く理解している。政府を正しく管理するために
は民衆が学を身に付けなければならないという主張は、
民主主義における普遍的な原理だろう。
国家のための学問をすすめる福沢の姿勢は、今日の価値
基準と必ずしも一致しない。現在では国家のために尽く
すというより、自分の人生の充実や、国家を超えた人類、
世界のためにという価値観も尊重されるからである。ま
た、私学・実学・洋学重視の態度も、学問の形態が広く
変わった今では、当てはまらない点が多い。
しかし、福沢が放つメッセージの重要性は今日でも変わ
らない。人は物質的にも精神的にも独立しなくてはなら
ない。身分制度がなくなった今、自らの独立を助けるの
は、学問である、と。