断片的な記述や引用
★★★★★
西田幾多郎の著作は、断片的な理解しかできていなかった。
部分的な引用はよく目にするが、世代の違いからか、いま一歩ピンとこないものがあった。
本書は、全体像を浮き上がらせようとしている点において、参考になる。
新書が専門書への入り口としての役割を果たすという意味で、よい本であろう。
「パンとサーカスを生き甲斐」とする哲学不在の時代への警鐘
★★★★☆
「清貧」と言う言葉は死語と化して「金儲けと享楽のみが生き甲斐」となって久しく、強者は批判を封じ込めることに汲々とし、弱者を見つけると徹底的に批判して「その生き様」まで否定しようとするのですから、世の中は住みにくくなってしまい、とてもではありませんが一般大衆は堪りません。
政治家の政治資金偽装、実業家の偽装行為、マスコミの情報流用操作・インサイダー取引など頻発して「チャンスを生かす強者の論理」は留まることがありません。
「パンとサーカスを生き甲斐」とする哲学不在の時代が、そうした生き様を肯定してしまったのだと言うことでしょうか?
西田幾多郎は、「善の研究」で一世を風靡し、純粋経験を標榜した西田哲学を確立した哲人として知られている。
「哲学は我々の自己の自己矛盾の事実より始まるのである。哲学の動機は「驚き」でなくして深い人生の悲哀でなければならない」
「功なり名遂げた」人生を予想するだが、絶筆にあたって全く違った眼で自らの生涯を見ていたことが分かった。
「私の論理は学界からは理解されず、一顧も与えられないと言っても良いのである。批評が無いではない。しかしそれは異なった立場から私の言う所を曲解しての批評に過ぎない」
著者は次の様に結論付けていていて納得ができます:
西田は、さまざまな思想家から批判を受けたが、その都度、批判を正面から受け止め、自らの思想を発展させる原動力にして行った。批判を自らの思想の中に取り込み、それを糧として新たな発展を遂げていく力強さ、エネルギーが西田の思索の中にはあった。
西田は図らずも弁証法的生き様を貫いたのかも知れません。
哲学の道
★★★★★
西田幾太郎というと 京都の「哲学の道」で有名な方だが 著作を読んだことは無かった。名高い「善の研究」も 岩波文庫で20年前に買ったが 全く歯が立たず 放擲していた。そんな中で20年振りに 本書を読んだ所である。
僕は以上の通り 素人だが 素人にもかなり分かる内容になっている点が本書の親切な部分である。特に前半の「認識論」の部分は 実に面白かった。
また後半においても 西田が 西洋哲学と東洋哲学を対立するものだけではなく 互いの良い点を取り入れて独創的な哲学を志向していた点には感銘を受けた。勿論 西田の意図したところは そんな平明な話では無いと思うが 素人の僕としては そのように理解することが1番痛切に感じられる読み方であった。
中年になって哲学が面白いと感じるようになってきた。これを人間的成長と考えると 個人的には快いことも確かだ。哲学は難しいが 考えて見ると「その人の考え方」という極めて普通に我々が扱っているものである。そう考えると 今後も 哲学の道を散歩するように ゆっくりと 色々読んでいきたい。
そう思った。
「外」の視点
★★★★★
難解とされている「西田哲学」を丁寧に整理して論じています。
個人的に、西田が常に「見られる自分」の立場で哲学していたのが印象深かったです。
世界の中の天皇制、世界の中の日本など「外のまなざし」を常に意識しつつ、
西田は自らの思想を深めていきました。
などなど、世界に通用する日本的価値観を創造するという課題は
今日のわれわれの課題でもあるでしょう。
哲学の真の動機とは何か
★★★★★
西田幾多郎の入門書もいくつかある。この本はそれらの中でも最もわかりやすいものだろう。著者は西田の生涯を簡潔に述べたあと、この哲学者のキーポイントとなる項目(純粋経験、芸術、場所、宗教など)について解説を加えている。その糸口に用いられる具体例(森有正の経験論、ジョットー絵画、山頭火の俳句など)がとても的確である。文章も難解に走ることなく、西田の思想を丁寧に読み解いている。
西田の思想に根底に「深い人生の悲哀」があり、「行為的自己」の苦悩がある、という序章の言葉にひきつけられた。ともすれば、難解というレッテルを貼られがちな西田哲学であるが、その様々な可能性の中に、ヒューマンなぬくもりを秘めていることを知ることができる。