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日中戦争下の日本 (講談社選書メチエ)

価格: ¥1,575
カテゴリ: 単行本
ブランド: 講談社
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多くの示唆を含む内容 ★★★★☆
本書は、日中戦争について戦争当事者の兵士(前線)と一般庶民(銃後)と二つの角度から考察を行っている。全体的に示唆に富む内容であるが、特に興味深かったのが、従来の戦争が軍事的に相手を屈服させれば終結したのに対して、日中戦争が軍事的に日本が勝ったにもかかわらず中国が屈服しなかったという意味で全く新しい戦争と位置付けているところである(76頁)。

抵抗の長期化は、中国の民衆の抗日意識を強めたとして、中国の民衆の意識を変えさせるための「思想戦」の重要性が強調される。この辺りは、前線の兵士サイドからの見方であり、占領された中国の民衆の立場からみれば、アジアのリーダーとして期待した日本に裏切られた結果として抗日意識が強まったという別の見方もありうると思われる。

軍事的な勝利が勝利に結びつかなかった日中戦争は、前線では兵士に戦争目的の再設定を必要とさせ、それの結実が「大政翼賛会」や「八紘一宇」へと繋がっていく。

本書は、読み手がどの立場で読むかによって、その評価も分かれると思われる。200頁たらずの薄い本であるが、内容的には多くの問題提起が含まれており、一読を薦めたい。


戦中デモクラシー ★★★★★
 一般に流布されている、「226事件以降は言論は弾圧されて云々」という暗黒時代説が誤りであり、国会でも、朝野でも、盛んに政治が議論され、無産政党からブルジョア政党までが活動していたという事実が、私には新鮮に感じられた。
 「軍部の独走で戦線が拡大し」は一面の真実でしかなく、戦争そのものを支持する世論が世の中を支配していたのだ。これが民主主義でなくてなんだろう。
 教訓とすべきは、いくら政治が民主的でも、決定内容が平和的だとはいえないという、当たり前のことである。
 憎むべきは、戦争でしか国内問題の解決ができなかったという政策オプションの貧困さであろう。石橋湛山のごとき自由貿易論者がイニシアチブを握っていれば、日本の高度成長は1940年代に始まっていた。日本は戦争によって20年の時間を失ったのである。

 GHQ改革の大半が戦中戦前に用意されて、一部が実行されていたという事実も、この本で再確認した。農地改革法案など戦時中に審議されていたし、借地料引き下げもすでに始まっていたのである。労働者による工場の自主管理、労働条件引き上げのための争議、労働安全、衛生のための規則の整備。すべてが戦時中に行われていた。
なぜ民衆は戦争を支持したのか? ★★★★☆
1930年代の日本はなぜ日中戦争の泥沼にはまり込んでいったのか?本書は、日本国内の「社会システムの不調」が民衆をして戦争を熱狂的に支持させ、総動員体制構築に積極的に加担させていった構図を描くことで、日中戦争とは何だったのかという問いに迫るものである。

方法論的には、ダワーの『敗北を抱きしめて』の影響を濃厚に受けている。新聞や兵士たちの投稿雑誌などの社会史史料を駆使して再構成される当時の人々の生活や思潮は、非常に読み応えがある。

民衆が戦争を支持していった背景には、「平準化」「平等化」という国内社会改革への意思があった。「労働者は資本家に対して、農民は地主に対して、女性は男性に対して、子供は大人に対して、それぞれが戦争を通して自立性を獲得することに掛け金を置いた」。すなわち、民衆が戦争に協力することで社会的地位の上昇を目指していくという構図があったのである。大政翼賛会に象徴されるファシズム体制とは、実は民衆による権利・地位の向上を求めた「革新」運動であったという。

現代にあっても、例えば米国では、マイノリティの若者が米国市民権を求めて軍隊に積極的に志願し、戦地に赴くという構図が存在する。軍隊への女性の参加も然りである。本書で描かれている、軍隊や戦争が社会的階層上昇の手段となっていたという事実は、現代的問題でもあるのかもしれない。真に平和を考えるのであれば、外交による国家間の平和のみならず、それぞれの国家内部の「社会システムの不調」にまで目を配る必要があるのではないだろうか。国際平和と、国内社会システムとは切り離せない問題であることを改めて認識させられた。

軍隊の民衆的基盤を論じている吉田裕『日本の軍隊』(岩波新書)及び、婦人参政権運動に着目しつつ、「革新」プロジェクトとしての総力戦体制について指摘している上野千鶴子『ナショナリズムとジェンダー』(青土社)などとセットで読むと面白いかもしれない。