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物語論で読む村上春樹と宮崎駿 ――構造しかない日本 (角川oneテーマ21)

価格: ¥740
カテゴリ: 新書
ブランド: 角川書店(角川グループパブリッシング)
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ファン=信者って2ちゃん思考がもうね・・・。 ★☆☆☆☆
決め台詞は「ファンは受け入れがたいだろうが〜」。

言い訳する前に、ファンでも納得できる論拠を持ってきてください。
あとがき書きたかっただけちゃうんかと。
著者はなぜいらだつのか? ★★★☆☆
 東浩紀との対談『リアルのゆくえ』でいらだっていた大塚は、この書でもそれが目立つ。そのために、村上や宮崎の作品分析は斬新なのだろうが、性急な強引さがその説得力をだいぶ削いでしまっている。
 大塚はなぜいらだつのか? 村上や宮崎が主導した「構造しかない物語の復興」が「国民国家」や「愛国的歴史観」の復興に加担していると大塚は捉え、その「構造しかない物語」は実のところサブカルチャーの分野で大塚が掴んだ方法だったから? つまり不肖の息子への自責や他人にいいように利用されている悔しさから? けれど、ブッシュや麻生は“とてつもない”不人気に陥り、スターウォーズを模して始めたイラク戦争だって映画通りには進行せず頓挫したではないか。それはある意味、大塚指摘の「構造しかない物語」故の顛末であり、いらだつ必要はないはずだ。「『民主主義』のリハビリテーション」を大塚が行いたいのなら、その言葉に従いもっと冷静なセラピストを志向すべきと、とても残念に思える。
 さらに、大塚はこの「構造しかない物語」が自己実現の物語として主体を自動的に作動させると、主に書の後半で繰り返し述べ村上・宮崎批判(の細部)を補強するが、これは古代の説話構造、近代の「教養小説」、そして現代の「構造しかない物語」を時代を超え単線的に結んでしまった故の錯誤ではないか。これも大塚が冷静であったなら、容易に(自身が展開している論理自体から)気づくことだと思えるのだが…。
読者のレベルが作家を選別する ★★★★☆
 本書を読むと物語作りの裏側を知ってしまい、折角面白く読んでいた本がつまらないもの思えてしまうのではないかと心配になる方は、少なからずいらっしゃると思います。その意味で本書はパンドラの箱とも言えるものでしょう。小説の基本構造を知ることは、物語を作る設計図によって物語づくりを一般化する役目と、読み手のレベルを上げる役割があります。特に後者につきましては、ただ設計図をなぞった駄作を選別するのに役立ちます。読者の目が厳しくなればそれだけ供給側もレベルアップせざるを得ず、無駄な出版物が減るというものです。

 しかしながら本書を読むにあったっては、それなりの読書量と清濁併せ呑む寛容さがなければ反発ばかりが先立ってしまうように思います。小説家の技法を解析し一般化することは学問の目的のひとつでもあります。問題は構造の上に何が載っているかで、本書の役割はむしろ村上のように小説の構造を使っただけの空虚な物語の選別にあります。本書を読んだ後に日本の小説を読むと、本書の基本構造を敢えて壊して組み上げており、なおかつすばらしいものが少なからずあることに気がつきました。

しかし村上ファンは、外人同様それらは読まないんでしょうね。
近代が辛い世界の人々を癒すジャパンカルチャー ★★★★☆
1.ジャパニメーションや一部の日本人による文学作品に対する世界からの喝采は、日本的なものへの賛美ではなく、世界基準に達した普遍的なものへの賞賛である。
2.さらに世界基準の構造の上に乗せられた変数が、「近代の超克」に見えたために、欧米のポストモダニストから好意的に受け止められもしたが、実際にはそれは日本の「前近代」に根ざしたものに過ぎない。
以上の2点が、この本のイイタイコトだと読めた。
作者にとっての「近代」の定義が、冒頭に書かれていたら、かなり読みやすくなるだろうにと感じた。
考えたい事が多い ★★★★☆
本書での宮崎駿に対する切り口はすごく興味深かったです。でも大塚さんが言う近代のやり直しか それともポストモダンとして今を受け止めるのかという提言は今ひとつよくわかりません。大塚さんは近代のやり直しを唱えるけど 私は今の時代はポストモダンでもあると思うし近代をもう一度やり直す努力も必要だよなとは思います。結局両方が必要な気がする。毎日自分にも世間でも色々な事が起こるなかで、なるべく自分が正しいと思える事を選んでいくしかないと個人的には思っています。蛇足として確かに1984は有り得ない展開でつまらなかった(笑) あと別の話かもしれませんがポストモダンの定義がよくわからないので誰か教えて下さい。近代の後という理解でいいのでしょうか?