現代イスラムの問題の原点
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スンニ派という主流派が形成され、それに反発するものたちがシーア派を形成したと思いこんでいた(高等学校の世界史や一般的な概説書ではそのように書いている)が、そうではなかったということは驚きであった。
周りの主流派と違うと思うものたちが自分たちの集団を形成する。カイサーン派・ザイド派・イスマーイール派・12イマーム派と続き、そして最後に残された主流派がスンニ派として他派を鏡として自己の規定を行っていくというイスラム集団の形成過程の説明は目から鱗であった。この形成過程を追うことにより、現代のイスラムが抱える問題の一端が見えてきた。
考えてみれば、イスラムにおいてはキリスト教のような正統・異端という概念はなじまない。スンニ派もシーア派も共存共栄し、隣人として生活してきた時代は長い(明らかに近代化の性で変化してきているが)。シーア派が弾圧されることもあるが、宗教的な異端弾圧と言うより政治的な争いと考えられる例が大半である。異端弾圧ということに関してはシーア派がシーア派でない人々を攻撃するという例の方が遙かに多い。
イスラムにおいては曖昧に多数派が形成され、みずからをムスリムと認めるものがムスリムたり得るという指摘は非常に示唆するところが多い。みずからをムスリムと認めることは周囲が認めることとにつながるわけではない。近年の独善的な原理主義やテロリズム集団がムスリムを自称したり、真のイスラムを体現している(この辺りはキリスト教原理主義と同一だ。またキリスト教徒の比較で言えばイスラム諸派の形成はカトリックよりプロテスタントに類似している)と称したりして他のムスリムは偽りの信仰であると攻撃する傾向はまさにイスラムという宗教の持つ本質に関わっている。
勿論、過激派を弾圧しろと言うのではない。そもそも弾圧はイスラム本来の思想に合わない行為である。過激な思想を如何に穏健化させていくのか、過激化の背景を如何に取りのぞいていくのか、イスラム主流派はイスラムという宗教の持つ本質と関わる部分と近代という社会から起因する要因が複雑に絡み合った課題を突きつけられている。
解り易く、網羅的。
★★★★☆
解り易くイスラームの分派を解説してくれる1冊。
キリスト教的な枠組みが通用しないその派生システムは、政治的歴史と絡んで興味深い。
一言にイスラームと言っても、一神教的じゃないもの、輪廻転生を想定するもの、しないもの、二元論的なものなど、多種多様であり、憶えるには辛いがその豊かなヴァリエーションは面白い。
イスマーイール派を中心にしてはいるが、全般的、網羅的に解説しているので、素敵な1冊だと言えよう。
シーア派の歴史
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シーア派とウマイヤ朝・アッバース朝・ファーティマ朝との関係やカリフとイマームの違いなどが丁寧に書かれていて、素人である私にも大変読み応えのある本でした。シーア派を中心に書かれていて、スンナ派については比較的あっさり、スーフィーに関する記述はほとんどありません。イスラーム教のメシア思想におけるイエスの扱いや、ドゥルーズ派(映画「シリアの花嫁」にでてくる一族の宗派)の話は、個人的にはとてもおもしろいと思いました。
シーア派は全イスラーム教徒の1割程ですが、イラン、サダム・フセイン後のイラク、レバノンのヒズボラなどにおける主流なので、国際社会における重要性は決して小さくはありません。
論旨に抜けがなく、重複も適度(親切)ですが、もともと込入った題材なので、一気に読まないと途中で迷子になるかもしれません。
イスラムはいかにイスラムになったのか―知られざる初期イスラムの世界
★★★★★
本書はイスラーム思想史を専門とし
現在は神田外国語大学准教授である著者が
初期イスラーム思想史について概説する著作です。
著者は、正統カリフ期からシーア派が誕生するまでの経緯を簡潔に紹介した上で
いわゆる「正統」「異端」という枠組みが
イスラームに関しては有効ではないことを指摘。
そしてそれを前提に、スンナ、シーア、イスマイール、ドゥルーズなど
今日まで存続するイスラームの「教派」がどのように誕生したのかを
教義に関する議論・論争や、政治史上の動向を踏まえ論じます。
カルバラーの虐殺が持つ思想史的な意義
アッバース期におけるウラマー(法学者)の登用による正当性の基礎付け
世俗の権力との齟齬をきたさないようなイマーム派の解釈
などは、とても興味深く、
今度、中世西洋の教会法や教会と国家をめぐる論争と比べてみたいなぁと思いました
また、とりわけ興味深かったのは
「神の子」イエスがイスラームの教義解釈でも
「神の子」であり、「救世主」であったという記述。
イスラームでは、イエスも預言者
・・くらいの認識だったので、とても驚くとともに
現代の解釈ではどうなっているのかなど
興味が次々とわいてきます。
イメージしにくいイスラーム各派の誕生や
初期イスラーム世界における聖権と俗権について
コンパクトに紹介する本書。
イスラームや教会法などに興味がある方はもちろん
思想史に関心がある方には強くおススメしたい著作です。
「異端」が「正統」を生み出すというパースペクティブ
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本書において展開されているのは、イスラム教における二大宗派であるシーア派とスンニ派の成立過程。この成立過程の要点は、「異端」たるシーア派の教義の固定化が時間的には先行し、「正統」たるスンニ派の教義は、そのシーア派の教義に触発される形で整備されていったものだという点だ。
第3代カリフ・ウスマーンの就任から、第4代・アリー、そしてウマイヤ朝の成立、そしてアッバース革命(アッバース朝の成立)という政治変動の中で、後代のシーア派にとっての「カリフ」である代々のアリーの血統者とその支持者の政治的行動の変遷とともに、アリーの血統の指導性を神学的に強調していく宗派形成の過程がつづられていく。一方、スンニ派は、アリーの血統の指導性(聖性)に対抗するべく、神学的には預言者の始原性を強調するようになっていく。
多くの場合、「正統派」=多数派宗派というのは現状肯定的な色合いを持つもののだろう。しかるに、現在のいわゆるイスラム復古主義的思想運動の多くは、「正統」スンニ派に分類されるものと思われる。
正統派=多数派たるスンニ派において、現状破壊的な「異端的」運動が生じるという一見矛盾する現象は、スンニ派教義成立過程で刻印された「預言者の始原性」の強調に端を発するものということができるのではなかろうか。
いずれにせよ、この「異端」が「正統」を生み出したという史実展開は、単に「アリーの血統を尊重するシーア派」と「預言者ムハンマドの言行(スンニ)を尊重するスンニ派」という事典の説明的理解が腑に落ちない異教徒(本書の中で、著者自身及び読者層を差してこの言葉を使用している)にとっては、この両宗派をより一層知る上で、とてもワクワクさせてくれる視野なのではないだろうか。