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状況に埋め込まれた学習―正統的周辺参加

価格: ¥2,592
カテゴリ: 単行本
ブランド: 産業図書
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   学習するとはどういうことなのか。まずは学校教育での学習が思い起こされるが、その場合、学習はあくまでも個人の中で起こっている認識論的な問題として捉えられがちだった。だが、学習に関する過去の説明は、学習が本来持っている社会的な特性を無視してきたと著者は指摘する。そこで、学習とそれが引き起こしている社会的状況との関係に焦点を当て、新たな学習観を提示したのが本書だ。

   著者は学習の新たな概念を明らかにする試みの中で、「学習とは社会的実践の統合的かつそれと不可分の側面であるという考え方」に到達したという。その新しい考え方を“正統的周辺参加”という標語で捉えた。その正統的周辺参加による学習の例として、仕立屋や海軍の操舵手、肉加工職人など5つの徒弟制度の研究を分析し、学習とは共同体への参加の過程であり、その場合の参加とは、初めは正統的で周辺的なものだが、次第に関わりを深め、複雑さを増してくるものだとした。そして、「学習者としての個人から社会的な世界への参加としての学習に分析の焦点を移したこと」と「認知過程の概念から社会的実践のより総括的な見方に分析の焦点を移したこと」に大きな意義があったと結論づけている。

   学習を、教育とは独立した営みとみなすとともに、社会的な実践の一部、「参加」、アイデンティティーの形成過程、などであるとした“正統的周辺参加”論的学習観は、教育実践の場にもさまざまな示唆を与えるのではないだろうか。(清水英孝)

学習を共同参加の過程に位置付ける ★★★★★
本書では、「学習」を社会的文脈に位置付けながら論じている。
「正統的周辺参加」「実践共同体」などのキーワードを用いながら、徒弟制
における学習の特徴とその普遍性について議論している。学習理論において、
学校教育のような近代的学習法(教授法的学習)に対して顧みられることが
少なかった徒弟制学習の意義を指摘している。特に、教授法的学習は文化的
所与の内化という観点と強く結びついており、学習が本来持つはずの集合的
社会実践が無視されていると批判している。学習は単に教わる側と教える側
が知識を受け渡すような過程ではなく、学習という社会実践を共有する場
(実践共同体)において、参加の程度が深まっていく過程であると著者らは
主張する。
本書の面白いところは、学習過程と集団参加を重ねて論じている、あるいは
学習過程を参加過程と読み替えているところであろう。そうすることで、学
習を普遍的な営みとして位置付けることができ、学習過程におけるダイナミ
クス(集団内における関係性の変化や知識や技術の意味づけの変化)の把握
を可能にしている。
「正統的周辺参加」は、日本の伝統芸能、伝統工芸、手工業をテーマとする
研究で参照されることが多い。「実践共同体(コミュニティオブプラクティ
ス)」については、著者のひとりであるウェンガーがより議論を進めた本を
出版している。本書では「正統的周辺参加」と「実践共同体」の2つの概念が
理論的に分かちがたく結び付けられているのに対して、後のウェンガーの
実践共同体はより広義に「学習の場を構成する単位」程度の緩やかな定義に
なっている。

本論のほうは100ページほどのコンパクトな論考ではあるものの、密度が高く
理解するのに時間がかかった。扱われている学術用語がある程度理解できな
いと誤った理解をすることになるだろう。例えば、本書では「実践」と訳さ
れているが単に「実際にやってみること」を意味してはいない。もとは、
「プラティーク(プラティック)」であり、解説にあるとおりブルデューや
ギデンズにおける「実践」概念を理解していないと本来の意味からズレて受け
取ってしまう。本書末には福島真人氏の解説があり、非常にわかりやすく、
本書の位置付けと意義がまとめられていてとても良かった。本論の内容にい
まいちついていけない場合は解説を先に読むのもひとつの手だろう。
実践的な知識とは何か ★★★★★
知識がいかに実践的であるのかを考えるとき、学習者の社会との関わりを考える必要がある。実践的という以上,身につけた知識がどこにも生かされずに埋もれてしまうものではなく,実際の生活において実際にどのように生かされるのかを理解する必要があるからである。本書では徒弟制の学習の有効性の研究を例に,学習に参加することとの有効性について、リベリアのヴァイ族とゴラ族の仕立て屋の徒弟制をあげて述べている。レイヴはまた,アメリカのスーパーの肉屋の徒弟制を例に形式的な学習の問題点についても述べている。学習者自身がどのような知識が必要なのかを自ら考え学び取る能力を,私たち教師は育まなければならない。このことを,本書では示している。
さて、学校においてはどのような実践が可能か ★★★★☆
 周辺参加の周辺とは、文化人類学を学んだ者なら中心と周縁の概念は既知のことであろうが、中心にはかならずその共同体(あるいは世界)で受容される価値群が存在する。実践共同体においても、親方が中心であり、古参者は中心の近くに位置する者である。仕事は、一体となって行われているが、新参者と古参者には截然たる区別がある。
目から鱗が落ちる学習論です。 ★★★★☆
「学習とは何か?」を問い直す一冊です。勉強することは当人に依存するものかと思っておりましたが、実践と勉強の場であるコミュニティ(=実践共同体)がかなり重要であることが理解できます。実践共同体では徒弟と親方の単純あ二元論ではなく、徒弟同士で強い相互作用、徒弟は成長する、親方は徒弟と交替しうる、経験がモノを言うなど、まさに複雑系な世界と言えます。

 「学習」は自らの好奇心により能動的に知識を得ること、「教育」は構造化されたルールに従い学生を理解させることであり本質的に違うものという指摘が爽快です。

 社会人になって日々勉強と思うことが多々ありますが、個と場について考え直すきっかけになる良書だと思いました。

 ちなみに本書の副題にあります「正統的周辺参加」とは、ある目的を持った企業、組織、コミュニティなどに属していると認識しており(正統的)、誰が中心人物というわけでもなく新参者と古参者が渾然一体となり(周辺)、実践共同体を形作るという参加形態のことです。
私には難しかったです。 ★★★☆☆
他の教育書(秋田喜代美先生とか)で「正統的周辺参加」という概念を知り、興味を持ったのでこの本を手に取りました。
私には難しかったです。なんとなく意図しているところはつかめたのですが、しっかりと腑には落ちませんでした。
最後の訳者あとがきを読んで初めて「なるほど」と思えた気がします。ちなみに私は教育の研究はしておりませんが、いくつかの本はこれまでに読んできています。認知心理学のことをもう少し勉強してからこの本を読めばいいのかなあ、と感じています。