中国の反日歴史教育を問題にした書物は少なくない。本書の著者自身が「彼以前に北京特派員はいなかった」と評価する古森義久も彼の著書『日中再考』の中で、国民に日本人を憎悪させるのは中国共産党が正統性を堅持し続けるための基本政策であると言っている。しかし、本書の特徴は、1950年代後半の「三面紅旗」路線の大失敗から説き起こし、失政の責任を他に転嫁する中国共産党特有の「政治思想工作」を際立たせている点だろう。
1958年に毛沢東が始めた「社会主義建設の総路線」「大躍進」「人民公社建設」は、わずか2年間で2000万人以上の農民を餓死させるという惨澹たる結果に終わった。しかし、党指導部は自らの失政から農民・兵士の目をそらすために「政治思想工作」を展開していく。「貧乏人が貧乏である所以は、地主と資本家の搾取があったからだ」「経済的搾取は国民党、蒋介石の反動政権がやったことである。この反動軍隊を支えてきたのはアメリカ帝国主義である」といういわゆる「両憶三査」で、20年前の「階級苦」と「民族苦」に責任を負わせた。
天安門事件後に国家主席となった江沢民が、1994年に制定した「愛国主義教育実施要項」はまさしく毛沢東以来の伝統なのである。ソ連・東欧圏の崩壊で、中国の青少年は共産主義に疑問を抱き始めている。中国が資本主義への移行を進めていけば、共産党の統制力は弱まっていくことを江沢民はよく知っている。中国は今ふたたび「政治思想工作」を必要としている。しかし、自由主義経済を志向する党指導部が「階級苦」を教えるわけにはいかない。そこで「民族苦」を教え込もうというのが「愛国主義教育」であり、その唯一最大の標的こそ日本なのだ、と本書は主張するのである。(伊藤延司)
日中経済関係の自然な拡大の一方で、政治関係は冷え切ってしまっています。
国民感情としても上海の安全神話も崩れ、中国全土に反日運動が展開されてしまっています。
正に著者の懸念が現実のものとなってしまった言うべき状況でしょう。
「趙薇事件」など、こうした兆候は以前からあったのですが、私達日本人の多くはそうした事に無関心でしたし、実のところ、こんな状況がつい十数年の間の変化によるものであること、その背景に何があったのかを判っていません。
この本はそれを非常に判りやすくまとめた、優れた内容の本です。
著者は、中国人民がごく普通に持ってしまっている反日感情を、江沢民の治世が生み出した、両国にとって深刻な問題と捉えています。
この辺、詳しくは本書を読んで頂くとして、最近の中国政府の対処を見ていて、私個人は彼等が保身のために展開した反日教育の想定外の成果を持て余し、対応に苦慮していると感じます。
こうした解釈は、この本を読まずしてありえませんでした。
そして、この本が本当に優れている所は、中国の反日に対して多くの日本人が抱きつつある嫌中意識を煽る事無く、私達の希望として「胡耀邦が存在したこと」「対日新思考の存在」「発展する隣国が最良の隣国という考え方」に触れ、日本が態度を硬化させるべきではないということを後半で伝えている点です。
アジアの安定と発展、世界経済の成長には日中友好が不可欠であり、私達が中国におもねるのでは無く理解し、日本人としての矜持を持ちつつ冷静に対応する必要性をこの本は教えてくれています。
歴史は教えてくれる、油断するなと、
150年前、幕末の国難に対し我々の祖先は見事に維新を成し遂げた、
100年前、ロシアの強硬な南下政策に対抗する術をもたない不甲斐ない朝鮮に替わり我々の祖先は日露戦争を戦い勝利した、
そして60年前、先行する白人国家の植民地支配に対するアジアの独立の為に大東亜戦争を戦うもおしくも軍事的敗北を喫した、
しかし、戦後を見れば分かる、「軍事的」に敗北しただけで目的は達したと、
国が国難に対するのは「具体的な敵」が存在するからである、仮りの敵などという呑気な考えがさていつまで持つ事やら、
本書や類書などで繰り返し記述されている現在の中国の実情はまさに断末魔なのだろう、遠からず、おそらくは北京オリンピックの終了直後だろうか、なんらかの答えがでると思う、自身の資産の安全を図りたい方は不即不離の距離へ退避すべきであろう、