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グロテスクな教養 (ちくま新書(539))

価格: ¥777
カテゴリ: 新書
ブランド: 筑摩書房
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ニッポンの 教養の歴史 わかる本 ★★★★★
1.内容
教養論を見ることによって、日本の教養、教養主義がどのように形成されたかを明らかにした本。教養というのは差別化を伴うもので、もともとは旧制高校のエリートたる男子が、受験以外の学力を身につけるものだった。そんな教養も、その時々の社会情勢で価値が変わる(就職時には価値がないが、戦争時には価値が高まる)。戦後は、岩波書店をはじめとした出版社から出された人文書で教養を身につける風潮が隆盛を誇り、そのせいか大学の講義より重視された。しかし、高等教育も多くの人が受けられるようになり、教養の価値も没落したが、それによる試練の最前線にいるのが女性である。
2.評価
(1)教養を扱う文献では私が見たことのない(p237〜の引用文献・参考文献を全部読んではいない人が言うのもナンだが)ジェンダーの視点が入っている、(2)著者の専門分野であるドイツとの比較が参考になる、(3)出版元の筑摩書房に気を遣っているなど(p26、143)、随所に面白く読ませる工夫があること、など、教養の歴史について知ることができ、面白い本なので、星5つ。
「教養」と「特権」 ★★★★☆
この本は明治以降の教養論を分析することにより「教養」の本質を明らかにした本です。

結論としては、教養とは基本的に(とくに戦前は)一部の特権的な地位にある男性のものであり、内面的な自己形成や修身のために学ぶのではなく、むしろ外面的な他者との闘争や差別化のために学ばれてきた、ということのようです。

結論はある程度納得できるのですが、この本はとにかく読みにくいです。話を詰め込み過ぎで焦点がぼやけている上に、回りくどい文章で読みにくさが倍増しています。ただ、買って損をするような本ではないと思います。
日本的教養主義小史 ★★★★★
若い人には辛い本かもしれない。1989年には完全に崩壊してしまったが、かつて人文主義的な教養の伝統というやつがあったのだ。その重みを知る人にとっては、じつに面白い一冊。

おそらく著者は教養に憧れ、人文的教養人への道を歩いてきたのだろう。大人になって中に入れば、教養もきれいなものではなかったこともわかる。その道の途上で教養主義は息の根を止められ、時代とのズレは決定的となった。

本書は、教養主義をグロテスクだったと断罪するが、それは著者にとって過去の自分の否定でもある。多くの評者が「コップの中」と書いているとおり、本書は構造的に矛盾を孕んでいる。

「上にのぼったから投げ捨てるべきハシゴ」とすら言い得ない教養。のぼった先は望んでいたようなところではなかった。しかし、それは若いころの自分を魅了し、とらえて放さなかったのだ。そんな中年女性の自己憐憫がなんともいい。
グロテスクな鏡、もしくは「いやったらしい」教養主義共同体 ★★★★★
本文中に頻出する表現を使えば、実に「いやったらしい」本だと思う。これは確信犯的に盛り込まれた「いやったらしさ」であり、それはこんな本を読もうと思った読み手自身の似姿である。

だいたい、「教養」に縁もゆかりも興味もない人間は、こんな本を読もうとするはずがない。これを読んで「いやーな気分」にさせられたり、「何じゃこりゃ!?」と批判したくなるのは、あなたがここで描かれている「哀れに滑稽な世界」と無関係に生きてはいないからだ。

この手の本には、無理して高みに立ってエラそうな御託を並べるよりは、マゾヒスティックにみっともなくニヤついてるほうがまだマシな気がする。

別にええがな、干潟のムツゴロウのようなダサダサの教養主義者でも。
踏絵としてのギョーカイ論 ★★☆☆☆
著者は「教養の復興」を期待しているところであろうが、私はまったく逆に、「教養論を読めなくなることこそ、教養論からの脱出(成長)」と考えていて、その意味では、本書のギョーカイ論に興味が持てなくなった自分に感心するとともに、本書そのものには興味が持てなかった。