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日本の教育格差 (岩波新書)

価格: ¥840
カテゴリ: 新書
ブランド: 岩波書店
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目新しくもなく、意外性もなく ★☆☆☆☆
斎藤貴男氏の『機会不平等』が出版されたのはもう10年の昔である。以来、格差社会・日本をテーマにした本は飽きるほど出ている。今更『日本の教育格差』と銘打って何を語ろうというのか、頗る疑問に思いながら読み進めたのだが、実に陳腐な内容で心底呆れてしまった。
本文240頁は全6章から成り、そのうち1〜4章が教育格差の実相の分析、残る5・6章で「格差をどう見るか、格差をどうするか」の論考である。教育格差の有様については、この種の書物を手にするような読者には既に周知のことだろう。改めて教えてもらうまでもない話に延々176頁も付き合わせて、一体何のつもりか? 著者によれば教育格差には、1.卒業学校段階(最終学歴)に関する違い、2.卒業学校の質やブランド度の違い(名門校を出たか否か)、3.最終学校で選んだ学部や専攻の違いがあり、「本書では2.や3.についても、今日の教育格差を論じるための重要な要素として、大きく注目した点に特色がある」のだそうだ。本気で言ってるのか? そんなこと、大学の先生に言われなくたって皆分かっていることだろう。だからこそ、世の教育熱心な親は子供を少しでもよい大学に入れようと苦労してるんだろうに。全くお目出度い自己認識である。
さて、教育格差があるとして、著者はそれをどう改善しようというのか? 本書の後半(というか終盤)はそれがポイントなのだが、結局「思い切って少人数学級にして、学力の高い子も低い子もいま以上に指導の行き届いた教育を学校で受ける。そのことが、それぞれの学力を高めることにもつながるだろう。」としか言っていない。それで解決するような話なら誰も苦労しないが、そんなわけがないだろう。就学年齢人口はどんどん減っていくのだから、教職員定員を維持していけば放っておいても少人数学級になる。でも「指導の行き届いた教育」がそれで自動的に実現すると信じる人は著者以外皆無であろう。本気で教育の質を上げようと思えば、教員の選別・淘汰だってまともに考えるべきだと思うが、著者はその点には全く触れもしない。
著者は経済学者で、教育の分野は門外漢なのだそうだが、それを入れても余りにお粗末な著作である。
典型的大学教授駄作新書 ★☆☆☆☆
 新書のレベル低下は様々な場で様々な人たちが指摘しているが、本書もそうしたレベルの低い新書の一つ。いわゆる「筆力」はある人だと思うんだが、情報価値が低すぎる。そのうえ意見や主張が古い。10年以上前なら「なるほど」と感心できたかもしれないが、今時この程度の意見や主張ならマトモな現場教員なら誰でも考えられる程度のものだと思う。ビジネス的視点とか、サービス業的視点だとか、中学高校の在り方など、「そんな意見は聞き飽きた。具体策に関して書けよ。」と言いたくなる内容ばかり。なんだか、学会のシンポジウムに参加するたびに感じるフラストレーションを増幅させるような内容である。

 おそらく、大学の教員が社会問題に対して何かを書いたり意見するのがそもそも間違いなんだろうね。オウム真理教事件、酒鬼薔薇事件などに対する大学教授の推察やコメントのほとんど的外れだったのは有名なことだが、10年以上経過した現在でもそうした問題が何も解消されていないままである。

 便利だからといって日本語・言語学の専門家でもない大学教授をことばのご意見番としてタレント的に使ったり、事件・事故があるたびに特定の御用研究者を登場させるなど、国民を愚弄する行為はいい加減にしてほしいものである。新書についても全く同じである。

 そろそろ、出版社や放送局も大学教授が使い物にならないことをはっきりと意識すべきである。
職業に誇りの持てる社会を ★★★★☆
何故人は仕事をするのか,自分のためか,そうである。
しかし自分のためだけではそうそう頑張れないのである。
だれか、ひとのため、社会のため、役に立っている感覚がないと
インセンティブは増大しないように思う。

ところで教育は仕事に直結する。
著者の主張は次のようなものである。
「これ以上大学生の数を増加させる案は、人的資源の配分としても望ましくない可能性がある」
ゆえに、
「高校の職業科を充実させる必要がある」
そのとおりであると思う、

ただし,実業界は,学校の職業教育に全く信用をおいていないので,これを実業の要請に近づける必要がある。
それに,学校教育としての矜持を保つ必要がある。たとえば,高校を居酒屋の従業員養成所のようには
してはいけないということである。