それはともかく。面白い本だった。
本書は小沼丹が教授時代、在外研究員として半年ロンドンに滞在したときのことを記したエッセイ。年代でいえば 1972年。わりと最近のことだ。そう。「わりと最近」ではあるのだが、読み進むうち、本書の位置づけを「現代と漱石の中間」という風に感じてくる。文体でそのように感じるというのもあるし、また小沼丹の当時の年齢(53歳)からそう感じることもあるのだろう。しかしながら漱石から小沼丹の時代、それから小沼丹の時代から現在。この間の「時間の速度」も変わってきているように感じる。
そうはいっても本書が「古臭い」というわけではない。ロンドンでも思い出というものが素直に通じてくるし、「そうそう、英国とはそういう国であるよな」という、どこか懐かしい気持ちにもなる。最近、英国に初めてでかける人には林望の著作を薦めている。小沼丹の『椋鳥日記』は、何度か英国に出かけた後に読むのが面白いと思う。実用書ではないけれど、自身の思い出を温めるのに役立つと思う。尚、本書は解説がつまらなかった。タイトルが「『ロンドン』と『倫敦』」。小沼丹が描くのは「倫敦」である、ということを言っているのだけれど、そのような記述はあまりに陳腐すぎる。先に解説を読む癖のある人も、本書に関しては解説を後回しにした方が良いと思う。