インターネットデパート - 取扱い商品数1000万点以上の通販サイト。送料無料商品も多数あります。

義経〈下〉 (文春文庫)

価格: ¥740
カテゴリ: 文庫
ブランド: 文藝春秋
Amazon.co.jpで確認
これはちょっと・・・ ★★☆☆☆
読むのが辛い失敗作ではないかと・・・。
司馬さんはもちろん尊敬されるに値する作家だとは思いますが、この作品については二流以下の筆ではなかったかと。
具体的には★ひとつをつけてらっしゃる方と同じ意見です。

それにしても気になるのは、司馬さんの作品に多々見受けられるのですが、
キャラクターに一貫性がなさすぎる、読者に混乱を与えるほどに。特に今回はひどくないすか?
もしかすると司馬作品の中でいちばん深い作品かもしれない ★★★★☆
 この司馬遼太郎の「義経」を書店で見たときに持った最初の印象は「別に義経も好きではないし、この時代にもあまり興味はないけれど司馬作品だから一応読んでおくか」という程度だった。
 上巻を読み終えた後もその思いは消えなかったが、下巻の中盤ごろまで読み進めると「これはもしかして司馬作品の中でもいちばん深い作品かもしれない」と思えてきた。
 「歴史は過去の過ちを繰り返さないために学ぶ」とはよく言うが、本作ほどその言葉が当てはまるものはないのではないだろうか。

 「判官びいき」というくらいだから、世間一般では源頼朝が悪人になっているのだろう。
 確かに頼朝には落ち度が、負の感情もあった。
 だからといって義経が100%悪くないかといえばそうではない。
 現代の常識で言ったらもしかすると義経のほうが悪人なのかもしれない、とも思える。
 要するにバランス感覚だ。
 どちらか一方に、コミュニケーション力にバランス感覚がもう少しあったら歴史は変わったものになったかもしれない。

 「歴史は過去の過ちを繰り返さないために学ぶ」ものだ。
 頼朝と義経が、そしてその周辺人物が犯してしまった過ちを今を生きる人間が学び、活かしていくことこそ必要なことだ、と本作を読みそう思った。

 
苦労(?)判官義経・・・。 ★★★★☆
軍事力抜群、天性の戦上手、騎馬戦の名手として今だ語り継がれる天才、義経。

有り余る才人にも欠点があった・・・。
情に走りすぎ、政治というものの本質をまったく理解しなかった点だ。
頼朝に無断で官位を頂戴し、彼の激怒にもまったく理解を示せない鈍感さ・・・、確かに今、読んでみると、この描き方は多少の無理がある気がしないでもない。

まぁ、千年以上前の伝説的な人物の「これが本当」なんて、ちょっと滑稽だし、これは、あくまでも小説として読めば良いと思います。

まぁ、何よりラストですね、「義経」の素晴らしい点は。
最後、頼朝に追い詰められた義経は、自害します。

酒漬けの壺に入った彼の首を見て、頼朝が放った一言・・・。

それが、なんであるかは、読んでもらうとして・・・。

ラストがとても良かったですね「義経」は。


司馬氏の視点 ★★★★☆
「坂の上の雲」にも出てきますが、司馬氏の義経に対する
評価というのは、軍事的天才というものです。
戦略的に騎馬を使用するということは大変難しく、
古来騎馬を本来の目的で活用する事ができた将軍というのは
数えるほどしかいないと氏は言っております。

そのような視点で書かれておりますので
平家物語を期待しているかたは意表をつかれると思います。

軍事的天才にして天下をとれなかったのは、
政治的無能者だったのだというのが主題のような気がしました。
著者にとってのノンフィクション、という手法 ★★★★★
「上」でも述べたが、これは司馬氏の「脳内映画・義経」を描写したような小説であると思っている。
氏がエッセイでも語っていたが、「その時代を生きた人が、何をどう感じていたか、自分の五感で確かめながら」小説を書く、という。私は、「脳内映画」を作る作業がそれだったのだと思う。
ということは、氏にとってはフィクションではない、のだと思う。
司馬氏の場合は、面白くするため、売れるため、に人物や場面を作ってゆくのではなく、あくまでも「実在の義経は、なぜ、このような行動をとったのだろうか」というところから「脳内映画」が始まるのだから、「氏にとってのノンフィクション」でいいのだと思う。
だから、当時の言葉で正確に言語化できないセリフは、「…という意味の言葉を」になるのだ。
私は、このような「著者にとってのノンフィクション」が好きだ。リアリティがあるからだ。そのかわり、「小説」としての完成度は追求しない。
「義経」についても、「なぜ」というところから氏は映画を立ち上げ、「居心地のいい奥州を飛び出してまで父の復讐を誓ったその理由は」には、逃げ延びた義朝の側近に注ぎ込まれた怨念しかない、としたし、「兄との不和」にも、「武士としての思考様式を持たず、公家志向」で、ほとんどADHDといえるような義経の「世間知らず・政治能力の欠如」を当てている。
これが、司馬氏が考え抜いた末の「脳内映画」に最もふさわしい答えであった。
常盤御前にしても、「自己犠牲」とか「健気な母」とかいうイメージを拝し、より「タダの女」として描いている。司馬氏の「映画」の中では、従来の常盤はふさわしくなかったのだ。
すべては、司馬氏の「なぜ」の結果、最も有り得る「義経」が、「常盤」が、「頼朝」が、「北条政子」が現れた。名作である。