残るものはなんなのか
★★★★☆
元気だった母が突然死んで、郊外の「家」は売られることになった。画家である大叔父のアトリエでもあったそこには、多くの美術品が遺っており、いくつかはオルセー美術館に寄贈された。
その建築は元は駅舎であった。時間の流れによって意味が変容したのだ。映画の「家」も同様である。母の死後も、子孫が受け継いでいくだろうと考えていたのは長男(とその娘)だけだった(そういえば、劇中で「泣く」のはこの2人くらいだ)。みんなこれからは「場所」よりも金のほうが大事になるからだ。
長男のこどもたちは、売られてしまう直前にパーティーを開く。緑いっぱいの庭にはぼろい原付がガチャガチャと停められ、アトリエはバスケのコートになっている。音楽をかけ、そこらじゅうでタバコを吸って騒いでいる。静かな部屋に飾られていた花瓶の姿はどこにもなかった。なんにもなくなった空間で、ただ、高校生たちがキラキラしているだけである。
男の子と二人きりになるために広い庭に出た娘は、「あっちよ」と言って、ほとんど森みたいに草の深い方へどんどん入っていく。「あっちよ」の意味がわからないが、なにかしらの予見によって未来にひっぱられているのかもしれない。そんな彼らを、祖母の霊の視線のようにも思える俯瞰ショットが優しく包んでいる。
<ネタばれ>喪失感漂う切ない物語。登場人物の心の葛藤が観ていて辛い
★★★★☆
夏のある日、母とひと時の時間を過ごす子供とその孫。和やかな自然美溢れる庭園を背景に温かい会話が流れる。その穏やかなオープニングを冒頭に、登場人物たちの心の葛藤が描かれる少し淋しく切ない物語。
母の死を機に、家にある絵画やスケッチなどの美術品、机や花瓶と石膏などの工芸品、そして何より思い出が詰まったこの家を売るかどうかで息子たちが議論する。しかし後ろ髪を引かれながらも、この家を使うことはほとんどないという理由で売却の方向に意見がだんだんとまとまっていく。オープニングの母の寂しそうな表情のあとのこれらのシーンは見ていて辛い気持ちにさせられる。また一人のメイドの視点からもこの家に詰まった思い出の貴重さが描かれ、喪失感に彩られたメイドの表情は同じく辛い心情が映し出される。
空になった美術品の溢れていた華美な家を、孫たちが荒々しく扱うシーンがあった。憤りを感じながら観ていたが、孫の顔にも淋しさが浮かび、ラストは未来への道が映し出された、ささやかな希望の漂う最後だった。
息子と孫、そして一人のメイドの3つの視点から描かれる喪失と心の葛藤の物語。空虚な気持ちを映し出しながらも、家族の会話が温かい心の和む映画でした。
ビノシュに金髪は似合わない
★★★☆☆
オルセー美術館開館20周年記念に作られた企画ものの映画と思って見たら、脚本等に制作側のこだわりが結構感じられる1本に仕上がっている。パリに行ったら一度は訪れてみたいオルセー美術館。だだっ広いルーブルに比べ、印象派巨匠たちの絵画がまとめて見ることができるため凝縮感がある。はじめてのパリ観光で舞い上がっていた私は、ここのお土産ショップで財布を落としてしまったのだが、笑顔が素敵な美人のショップ店員にそのことを告げると、親切な誰かが拾ってくれていて、すぐに戻ってきたいい思い出がある。
画家であった大叔父が残した遺産を、パリ郊外の邸宅で一人で管理していた母親が死亡。経済評論家の長男(シャルル・ベリング)は懐かしい思い出のつまった家をそのまま残す提案をするのだが、ブロンドがまったく似合わないビノシュ演じる食器デザイナーの妹、北京で運動靴工場を任された末っ子の弟(ジェレミー・レニエ)は、莫大な遺産を金に変え分割相続するよう進言する・・・・・・
コローやルドンの絵画、優美な曲線が美しいマジョレルの机やガラス棚、ロダンの彫刻、ブラックモンの花瓶・・・・・・これらの美術工芸品をチョイスしたのには、本作のストーリーにからめた理由がそれぞれあるようなのだが、素人の私にわかるはずもなく、この辺は美術に詳しい専門家の意見を聞いてみたいところではある。三兄弟や長男の娘の友人たちが邸宅に集まってパーティーを開く場面が登場するのだが、花々が咲き乱れる庭をとらえたワンシーン・ワンシーンも、もしかしたら誰それの有名な絵画をモチーフにしているのかもしれない。
美術館という閉じた空間に陳列されるよりも、真の美術品というものは生活の一部として実際に使用されてこそ輝いてみえる・・・・・・実用主義のフランス人らしいテーマを秘めた本作は、全米批評家協会賞など本国フランスよりもなぜかアメリカでの評価が高い。経済評論家の長男フレデリックが「(中国反映の影で)儲けているのはアメリカだ」とか、「経済とは宗教のようなもの」とか、およそグローバリズムを批判するような発言を劇中繰り返しているにもかかわらずである。生臭い遺産相続の現場を通して、本来文化であるはずの美術品が取引の対象にされなければならない現実を嘆いた本作が、金儲けに疲れきったアメリカ人の心に染みたのだろうか。
モノ(アンティーク)とヒト(家族)との狭間で語られる物語
★★★★☆
かって画家であった大伯父のアトリエ、
彼が残した貴重なコレクションたちとともにそこに一人で暮らす母
家族の中心としての存在感と求心力を持った母のもとに
バカンスを過ごすため集まってくる子供たちはそれぞれの事情を抱えていて、、、。
彼女の周囲に存在するモノ(アンティーク家具)たちひとつひとつが
語りきれないほどの物語を秘めている。
時を封じ込めたモノたち、、、。
美しい庭のある家で、母の死に向けて物語は静かに進行する。
その死もあっけないくらいに淡々と語られ、後半の遺産相続も含め、
起伏は少ないながら、テキパキとスピーディーな物語展開だった。
モノにピントを合わせるとヒトのドラマが語れず、
ヒトのドラマを語ると折角のモノが沈む。
惜しむらくはそんな印象がなきにしもあらず、
ジレンマは結局観客におしつけられてしまった。
モノたちを所蔵するオルセー美術館の肝いりで企画・製作されたとあっては
それも仕方ないかもしれないが、、、。
こうした状況は演技者にとってやりにくいものであったに違いない。
そんな中ジュリエット・ビノシュらの抑制の利いた演技はさすが、好感できた。
きらめくような庭の風景はもちろん、雨が降る中での兄弟の別れのシーン、
とりわけエンディング・ショットの流麗さには息を呑んだ。
エリック・ゴーティエの撮影手腕もさることながら
カイ・ユ・ド・シネマの評論家だったというオリビエ・アサイヤス監督の感性は素晴らしい。
スローペースでマイルドなドラマ。
★★★☆☆
絵画も食器も花瓶も、どんなに美術価値があっても、生活空間の中で、それらが”生きている”のであって、それらが美術館に展示されれば、絵画は思い出の写真のごとく、こころを和ませることなく、食器は飲み物やおかずを入れることなく、花瓶は潤う水が張り詰めることなく、いずれも作品としての形態に変わってしまうのです。
そういったことを強く感じました。
長年住み慣れたおうちについてもしかり。
その匂い、周囲の環境との調和に、慣れ親しんで、やはりこころの安らぎを求める生活空間なのです。
そういったものをそのまま永久に遺しておきたいという願望のきもちと、現実はキャッシュに困っているという実情のきもちのジレンマを描写しています。
この映画のストーリーは波風が少なく、どちらかといえば、過ぎ去っていく思い出の品の数々が消え去るように、ゆるいスロープでトーンダウンするような形であり、際立った落としどころはありません。
したがって、もの足りなさを感じますが、このドラマで伝えたいところは、多感でちょいワルな年ごろの孫娘がおばあちゃんの思い出に浸るところは、祖母から孫へと受け継がれた”品物ではなく、きもち”というものだと思います。