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純粋理性批判 (上) (平凡社ライブラリー (527))

価格: ¥1,890
カテゴリ: 新書
ブランド: 平凡社
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こんな難しい本は生まれて初めて読みました ★★★★☆
“純粋理性批判”について素晴らしいだの、あれは間違っているだのという考察を述べられるような人間ではないため(序文や第一部門・超越論的感性論などは、解釈本を読めばまだついていけるのですが、第二部門以降はトホホな状態です)この平凡社版の本自体についてだけ書きます。 カント研究者の(本人はこう呼ばれるのがお嫌いなようですが)中島義道氏によるとこの原祐訳は、以前は誤訳が多くあまり薦められない内容だったらしいのですが、門下の渡邊二郎氏によってかなり正確な補ていがなされており、信用できる訳文になったそうです。 確かに訳文以外にも、活字も大きいし読みやすい本だと思います。 第二版で書き改められた部分を上下二段にして違いがはっきり分かるような構成にしているのも(読みやすくはないのですが)いいと思います。 値段が多少張りますが、岩波版よりこちらの方がやはりお薦めだと思います(ただ下巻については、ページ数の少なさから言ってその高さにちょっと閉口するのですが)。
訳によしあしなし ★★★★☆
 純粋理性批判の訳にあまりよしあしはない。あるとすれば、好みの問題と版の参照ページがあるかないぐらいだろう。私の好みから言えば、河出書房の高峰訳がなんとなく気に入ってOCRで取り込んで電子化している。しかし、ほとんど利用せずに今日いたっている。
 ところでこの訳はもと理想社のカント全集の一冊として(ほんとは三冊だが)出ていたもので、渡辺二郎という恐ろしく幅のひろい研究者を中心に補ていしたものである。
 私にとって、カントは難しくもあり、やさしくもある。いまだによく分からぬのが、すべての表象には「私は考える」が伴う、という表現があるが、「私は考える」は先験的のことを言っているのであろうか。だとしたら、自己意識ことではないか。と考えたくなるがどうもはっきりしない。
「哲学すること」を示してくれる本。判断力とか構想力といった本書に似つかわしくない概念も登場し、そこが楽しい。 ★★★★★
本書、とくに第1版では、超越論的演繹論では「構想力」の活躍が目につく。第2版(本書では見比べることができるように併記されている)では、同じく登場するが、よく言われるように、「構想力」を悟性や感性とは異なる別な能力と解釈されることを厭がって、悟性のファンクションとして強調してうまいこと逃げているのだが、古来ハイデッガーなども言うとおり改悪の部類で、構想力として前面に押し出してほしいところだが、本書で、1版、2版を見比べながら読んでみると、そして、「プロレゴメナ」も併せて読んでみると、想念が湧いて楽しい。それから、超越論的分析論の冒頭で、「判断力」が登場し、「悟性」に指示を与える機能として語られる件は興味を惹く。「悟性」は規則を順守して運用する能力だが、それゆえに、「指示」が要るのだ、そしてそれが、「判断力」だが、これは持って生まれたもので、悟性は磨けても、判断力はそうもいかない、と。で、判断力がない人にとっては、経験(実例)とはいわば「あんよ車」だ、というくだりも興味を惹く。「永遠平和のために」の劈頭、他人の指示がないと悟性を運用できないのは「子供」=啓蒙以前、だというのは、辛辣だが本書の当該部分から援用されたせりふだろう。それはそうと、哲学する、とはどういうことなのか、身を以ってしめしてくれた本書は、「永遠の古典」だと思う。何度立ち返っても損はない。どんなに苦しくなっても、決して「実在」の対応物に根拠を求めて右往左往しない、そこが本物の哲学だと思う。比肩するのはヘーゲルの「精神現象学」、フッサールの前期、「イデーン」までぐらいだろうか。
待望の一品 ★★★★★
 いままで『純粋理性批判』の翻訳は高価なものが多く、学生の手に入りやすいものといえば岩波文庫版しかなかった。しかも、篠田訳はあまり評判がよくなかったが、今回、かつて(恐らく理想社版の)カント全集に納められていた原祐訳が平凡社ライブラリーに納められ、『純理』が非常に身近になったと思う。その上、渡辺二郎氏の補訂がなされていて、訳本としての信頼性も高い。しかも、この訳本はA版とB版の比較ができる構成になっているので、カントの思想の変化を捉える事ができる。カント哲学を学ぶものにとって、この本は必携のものであろう。