(平凡な言い方ですが)わかりやすい解説書です
★★★★★
「人間カント」についてはほとんど書かれていません。私は「カント哲学」のど素人ですが、「人間カント」より「カント哲学」を学びたかったため本書は目的にかなっていました。
本書は「純粋理性批判」を中心に書かれていますが、最初から順々に解説しているわけではなく、「純粋理性のアンチノミー」からはじめています。これがわかりやすい。
また、哲学(カント?)用語についても(おそらく)最小限しか使われておらず、また初出の時は丁寧な説明が書かれています。
最後は宗教についてのカントの立場が解説されています。カントが当時の社会状況でギリギリのところまでいっていたことがよくわかりました。人間の理性にとって最高善(徳=善)が必要なために神が要請されるということです。面白い考え方です。(論の立て方は違いますが、「理性による神」なんていうとロベスピエールみたいですね)
難解ということで避けてきた「カント哲学」ですが、本書を突破口に「プロレゴメナ」か「純粋理性批判」に進もうと思います。
「入門」とするにはやや専門的過ぎまいか?
★★★★☆
私は学生時代「西洋哲学」を専攻し、お粗末な内容ながらカントの『純粋理性批判』について卒業論文を書いた人間である。
その私にとってさえ、本書における『純粋理性批判』の解説は大変参考になった。つまり、専門的に十分充実し、オリジナリティを持った著作と言える。何よりも、単に原著の要約に陥らず、自らの言葉で大胆な再構成がなされている点が良い。
だが一方で、カント「入門」としては、ややハードルが高過ぎまいか?哲学者の思想に焦点を当て、生涯についての記述を省略するのはよしとしても、カントについて全く基礎知識の無い読者には、やはり主要著作一覧や哲学史上の位置づけといった導入的な解説はやはり必要だろう。
それに終盤の『宗教論』の解説あたりから、やたらと言葉づかいも隠語めいてきて、難解さが増している。やはり新書一冊に盛り込むには内容が豊富過ぎたのではないだろうか。いっそのこと『純粋理性批判』の解説・解明に絞るか、せいぜい三批判書をカバーするくらいで十分だったのでは?
つまり、本書はカント入門としては2冊目以降に読むのに相応しい内容である。確かに新書のカント入門は少ないが、例えば清水書院『人と思想 カント』など1冊目に読むものとしてお薦めである。
「血のかよった」カント像をえぐる
★★★★☆
村人が毎日、カントが通れば四時だと計っていたという逸話があるくら
い、その生涯において規則正しい生活と狭い生活圏をつらぬいた哲学
者カント。本書はそんな生涯にドラマを残さなかったカントにもあったは
ずの「内面のドラマ」を浮き彫りにしながら、彼の哲学を解説するという
意欲作だ。
その試みは、ある程度成功していると言えるだろう。数多あるカントの
入門書であるが、たいていのそれは原著同様にどういう定義で使われ
ているかわからない熟語の羅列、インフレーションが起きていて、下手
したら原著を読んだ方が早いというものまであった。しかし、僕にとって
本書は岩崎武雄のそれ以来の久々の「当たり」であった。
「独断のまどろみ」に気づいた彼が、自らたてたアンチノミーという難攻
不落の問いを超越的観念論という超アクロバティックな方法で突破した
『純粋理性批判』から、英知界と感性界にまたがって存在する人類だか
ら生まれる「道徳法則への尊敬の念」が描かれる『実践理性批判』。そ
して、自然にそなわる「合目的性」を見いだす反省的判断力の所在を説
く『判断力批判』と、三大批判を順に追っていくオーソドックスな構成になっ
ているが、最後には“四番目”の批判といえる『単なる理性の限界内に
おける宗教』での宗教批判も同梱されている。
新書にしては当然歯ごたえある部類だが、前述したとおり数多の入門書
の中では、例示などの多様もあってはるかに読みやすくわかりやすい。
またそれが、例えば本当に読者に寝ながらわかったつもりにさせてしま
う『寝ながら学べる構造主義』の内田樹のように文章に特段長けている
わけではないから、半解の気分で追われるのも丁度いい。もう一方の理
解していない方の半分はもちろん、この本を手にとった多くの者が一度は
あきらめかけた、『純粋理性批判』という原著へのリベンジの原動力にな
ることは、いうまでもない。
反現代
★★★☆☆
ちくま新書の「哲学入門シリーズ」のひとつ。このシリーズは哲学者の経歴や背景といったものよりも哲学者の思想そのもののに焦点をあてて解説するところに特徴がある。いわゆる内在的研究といわれるもの。
これまで人気のある著者によって多くの人気のある哲学者の解説がなされてきたが、面白いことにそれまで知られていなかった学者による解説に読みごたえのものがあるように思われる。
最近カント復興がやってきているのであろうか。黒崎政男“カント『純粋理性批判』入門”(講談社)や文芸評論家柄谷行人『倫理21』(平凡社)などが目につく(文芸評論家は時代の潮流に敏感だから当然といえば当然。中沢新一『フィロソフィア・ヤポニカ』(集英社)は日本思想の隆盛にいち早く反応したもの。文芸評論家やそれに近い人が哲学を紹介するのは日本のお家芸)。また、カント著作集の翻訳もだされるなどしている。もっともこの翻訳はあまり意味があるとは思えない。著作集が翻訳されているのは日本だけかもしれない。しかし一方では、宇都宮芳明『カントと神』(岩波)というすばらしい研究書も出ている。
プラトンの後にはアリストテレス、ヘーゲルの後にはカントと分析的な思想へと向かっているのはそれなり理由があるのだろうか。それよりも弁証法に人々は飽食したのかもしれない。マルクス主義にはじまって、構造主義、ヴィトゲンシュタイン、システム論と実体概念よりも関係概念を志向する思想を中心に回転してきた現代の思想に食傷ぎみなのかもしれない。もしそうだとしたらそれはよい傾向だといえる。実体概念と関係概念は切り離すことができないからだ。
著者のカントは具体的な例を取り上げて論じるので分かりやすい。システム論などは例が挙がっておらず、挙がっていても読者にほとんどイメージ(表象)しがたいもので、著者独自の解釈による概念の羅列につきあわなければならないので、解読不能なものが多い。そういった類のものと比べると、難しいと敬遠されてきたカントが何と読みやすいものになっていることか。しかもカントの思想にはその前後の思想がすべて含まれている。現在ではそんなことも忘れられている。これから哲学とじっくりとつきあっていきたい人に大切な一冊となることをねがう。
「カントの生涯を変わらずに貫いていたp..11」「内面のドラマ」を描く
★★★★☆
「世界の究極的始まりp.30」、「ものの究極要素p.30」、自由、絶対的必然的存在者、これらについてのアンチノミー(二律背反)、純粋理性のアンチノミーこそカントを「独断のまどろみ」から目覚めさせ、ひたすら理性批判に赴かせたp.40」「カント哲学を「理性批判」、「批判哲学」という言葉で一括して総称p.19」できるが、その固有の一貫的性格はなにかと言えば「真理の認識を阻害するp.20」仮象を批判する「「仮象批判」と答えることができる。p.20」「アンチノミーの解決をとおして、カントは空間と時間が主観(感性)の性質であって物それ自体の性質ではないことを、間接的に照明しp.88」「生得的でもなく(経験的に)獲得的でもない「根源的に獲得的」という意味にほかならないp.112」「一切の先なる所有者を、また先なる根源を前提しない概念であるp.113」ア・プリオリを発見した。ルソー体験から、「単なる論理的完全性ではなく、人間の究極目的の追求こそ哲学の本来の道であることを知p.67」り、「わたしは人間を尊敬することを学ぶ・・・他の全ての人々に価値を認めて、人間性の権利を樹立しうるということを、わたしが信じないようなことがあろうものなら、わたしは自分を平凡な労働者よりも無用なものと見なすであろうp.62」と劇的な回心を行ったカント、「1.自分自身で考えること 2.自分自身を他者の立場に置いて考えること 3.つねに自分自身と一致して考えることp.202」という「健全な「思考法」のための三つの原則p.201」を掲げたカントの哲学の全容を魅力的に描いている。