チェスタトン・ファンにとって必読の名作
★★★★★
「木曜の男」を読んだのは30年以上前。この光文社の新訳シリーズは、昔懐かしい作品を(新訳で)読み直すキッカケとなると言う点で良い企画だと思う。本作はチェスタトンの唯一の長編だが、初読時よりもチェスタトンの思弁が前面に出ているいる印象を受けた。鬱々とした印象のあった本作を、なるべく平明に訳そうとする意図にも好感が持てた。
"日曜日"を議長とする無政府主義者評議会に、新しい"木曜日"として潜入した刑事サイムが体験する不条理とも言えるサスペンス小説の体裁で書かれているが、チェスタトンらしい趣向が施され、味わい深い作品となっている。読む方は、迷宮を彷徨っている感じを味わうと思う。そして、いつも通りチェンスタンの社会観・人間観が良く現われている。"目に見えるものが必ずしも真実ではない"、との趣旨が全編を通じ逆説的論理で綴られている。階層社会に対しては否定的なチェスタトンだが、本作では宗教を含め、何が社会的正義なのか懐疑的になっているのが印象的だった。
上述の通り、チェスタトン唯一の長編であり、ミステリ的技巧と共に当時のチェスタトンの思索が充分堪能出来る作品。新訳で読み易さも増し、チェスタトン・ファンにとって必読の名作。
ファンタスティック、奇想天外な物語
★★★★☆
吉田健一訳の『木曜の男』(創元推理文庫)以来、南條竹則の新訳による本作品を久しぶりに読んでみました。
主人公ガブリエル・サイムの恐れと不安がスリリングな熱気をはらむ前半から中盤にかけての歩みと、俄然、一点に向けて物語が収束していく後半のスピーディーな展開と。本文庫の「訳者あとがき」に<この話が一種壮大なピクニック譚だ>とありますが、第十一章「犯罪者が警察を追う」以降の展開は、確かに、ファンタスティックな幻想「ピクニック譚」と言ってもいい妙味がありますね。はらはら、どきどきしながら、頁をめくっていました。
ガブリエル・サイムとガブリエル・ゲイル、主人公の名前が似ていること。「金色の太陽」というカフェと「昇る太陽」という宿屋、話の中に出てくる店の名に、両方とも「太陽」の二文字が入っていること。本作品(1908)のおよそ二十年後に書かれたチェスタトンの『詩人と狂人たち』(1929)のことを、ふっと思い浮かべたりもしました。
訳文は読みやすかったです。吉田健一の訳文の独特な旨味、あれはもう一種の名人芸かなと。文章の馴染みやすさ、分かりやすさという点では、この南條訳に軍配が上がるでしょうか。でも、どちらもそれぞれにいい訳だと思います。蛇足ですが、南條竹則訳では英国怪談のアンソロジー『怪談の悦び』がとても気に入っています。
それと、訳者による本文庫の「解説」、これがよかったなあ。チェスタトンの思想、友人に恵まれたその人生を、ささっとスケッチして見せてくれたような案内文。奇想天外なこの物語を書いた作者の人となり、その一端に触れ得た思い。読みごたえ、ありました。解説文の途中に挟まれた一枚の絵も、雰囲気があって魅力的。机に向かって何か書いているチェスタトンと、それを見守っているふたりの親友、モーリス・ベアリングとヒレア・ベロックを描いたこの絵は、ジェイムズ・ガンの「団欒図」(1932)。
チェスタトンの宗教的苦悩と救済
★★★★☆
日曜日から土曜日まで、七曜を名乗る
男たちが巣くう秘密結社《七曜会》――。
この怪しくも魅惑的な集団の名に、私がはじめて
触れたのは『街』というゲームソフトにおいてでした。
そのゲームは、妖艶で世俗を超越した美女「日曜日」のもと、
《七曜会》のメンバーとなってターゲットを脅迫し、一万円を
支払わせるという、一見不条理劇のような装飾が施されていながら、
結末では、じつはスタンダードな成長物語であることに判明する、
といったものでした。
そのオリジナルだろうチェスタトンの本作も、
基本的には同じ構造のように思います。
正直、「神」や「宗教」といったことと無縁な生活を送る私には、
チェスタトンが抱えるアンビバレントな宗教的苦悩を正確に
推し量ることはできません。
しかし、なんとなくですが、理性によっては人は救われず、
己自身の空虚さに狂わされていくのみだ、といったことを
本作を通じて表現したかったのではないかと感じました。
めくるめく物語
★★★★★
翻訳のせいか、読みにくい話しのはずなのに読みやすかったです。
また、話しが一転、二転、三転とし、最後まで息つく暇もありません。
そうでありながら、中身の薄っぺらな物語とはやはり違います。
さすが20世紀初頭のイギリス小説!という雰囲気がたっぷりと
つまっています。
ブラウン神父を彷彿とさせる逆説がもり沢山。
日本の今のくっだらない三文ビジネス本もどきを読む時間があるなら、
やはりこれらの中身がたっぷり、充実した本を読んでいこうと
2009年初頭、気持ちを新たにしました。
いい読書体験ができます。
これは悪夢なのか?
★★★★★
「人生はアップでみると悲劇だが、ロングでみれば喜劇である」
というチャップリンの言葉があるが、本書を読んでそれがあたまにうかんだ。
なるほど、この作品に書かれていることは、主人公であるサイムにとっては悪夢にちがいない。
しかし読者にとっては、グレゴリーとの議論をはじめとする、サイムと登場人物たちの逆説やユーモアに
みちたやりとりは楽しいし。「木曜日」と「金曜日」による暗号のやりとりはギャグであるし。
物語の中盤からくりひろげられる逃走劇と追走劇はまさにドタバタ喜劇である。
ほかのレビュアーのかたが書いているように、本作品から哲学や作者の苦悩をよみとることも可能である。
しかしまた、本作は良質なエンターテイメントでもあるのだ。
これから本書を読もうというかたも、小難しいかもとは思わずに、気軽に手にとっていただきたい。