話は飛ぶが、私は「エッセイ」と「随筆」とは本来的に違うものだと思っている。「エッセイ」の語源はフランス語の「エセイエ」(試みる)であり、直訳すると「試論」ということになる。学術論文のような厳密さは求められないが、あくまで論文であり、そこで重視されるのは論理であり、知性である。五木でいえば、「大河の一滴」や「他力」などの一連の作品はそういう意味の「エッセイ」といえるだろう。
本書は紀行文であるが、系統的には「随筆」に近いと思う。そこで重視されるのは感性と発想、そしてそれを表現する力である。本書を印象づけるのは寺を訪問したときの季節感と気象である。3月の高野山の肌を刺す寒さ、粉川寺の爛漫の桜、観心寺の雨・・。そうした肌に迫る感覚の中で寺のたたずまいが語られ、歴史が語られ、エッセイ的な論考がなされるのである。
読むと行きたくなる、心憎い名文である。