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民族という虚構

価格: ¥3,360
カテゴリ: 単行本
ブランド: 東京大学出版会
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社会心理学によって虚構を理解する ★★★★★
前半(第1,2章)で民族概念が虚構であることが暴かれる。ここまで読んだかぎりでは、虚構性によって民族概念を攻撃するのが本書の目的だと思ってしまう。ところがこの思い込みは、第3章以降でひっくり返される。民族が虚構なら別に民族性にこだわる必要はないはずである。だが、現実には民族問題は強烈な影響を与えている。なぜ虚構がこうも現実で力を行使できるのか? 結局、その答えは人間の脳内にあり、心理学的アプローチによって答えられるというのが、本書の主題である。そして、虚構こそが現実を支えており、虚構は人間が生きるためには必要なものであることが示される。読者はこの価値転換に驚き、感心し、深く考えさせられるだろう。

ただ、これだと、たとえば責任概念などは根拠を失って相対化してしまうのではないか? 誰かが誰かに責任を問うのはたいして根拠がなく、結局は社会的な恣意性によって罪が決まってしまうということになってしまう。そういえば今の世の中は実際そうなっているようにも思う。

最終章では開かれた共同体概念によって問題を克服しようとしているが、これは私見では空回りしている印象が強い。虚構のアポリアを解決しようとする著者の意図は成功していない。だが、解決できなくとも問題意識を提示できただけでも本書の意義は大きい。虚構構造という難問によって読者の脳をおおいに活性化させる名著である。
民族という虚構 ★★★★★
民族の区分は恣意的で、虚構に過ぎないというのはもはや文化人類学では常識となっている。
しかし、著者はその虚構と現実という二項対立を疑い、民族という虚構はそれが必要だから出来たのだという。

そして、民族の連続性や同一性のもつからくりにも注目して、しっかりとした分析を行っている。

ただ、ひとつ疑問なのは、「国家=民族」というくくりわけには明らかに反対であろう著者が、在日の問題について「朝鮮人としての民族性を否定して日本に帰化すればよいなどと言うつもりはまったくない(p159)」と書いていることである。
ここでは「日本への帰化」と「朝鮮人の民族性」は両立不可能なものという前提になっているが、「国家=民族」というくくりわけに反対ならば、「日本国籍の朝鮮民族」という選択肢も可能であり、これが最も現実的な道で、「日本国籍ならば日本人らしく」として同化を迫る人を批判すれば十分な気がする。

大変に鋭い ★★★★★
民族の区分は恣意的で、虚構に過ぎないというのはもはや文化人類学では常識となっている。
しかし、著者はその虚構と現実という二項対立を疑い、民族という虚構はそれが必要だから出来たのだという。

そして、民族の連続性や同一性のもつからくりにも注目して、しっかりとした分析を行っている。

ただ、ひとつ疑問なのは、「国家=民族」というくくりわけには明らかに反対であろう著者が、在日の問題について「朝鮮人としての民族性を否定して日本に帰化すればよいなどと言うつもりはまったくない(p159)」と書いていることである。
ここでは「日本への帰化」と「朝鮮人の民族性」は両立不可能なものという前提になっているが、「国家=民族」というくくりわけに反対ならば、「日本国籍の朝鮮民族」という選択肢も可能であり、これが最も現実的な道で、「日本国籍ならば日本人らしく」として同化を迫る人を批判すれば十分な気がする。
ナショナリズム研究の新展開 ★★★★★
政治学の分野に心理学的アプローチを導入したという意味では、山岸俊男『信頼の構造』に匹敵するインパクトを持った一冊である。

「民族」を人間間の関係の上に形成される「虚構」である、という論点を説得的に展開する著者は、いっぽうでその「虚構」の意義を説く。民族自決やナショナリズムが近代にもたらした惨禍を看過するわけではないが、だからといってただ否定したからといってそれが克服できるわけでもない。

ルソーの議論が何ゆえに全体主義への道を整備するのか。「個人主義と全体主義との共犯関係」を直視しつつ、そこからいかに開かれた共同体概念を構築していくか。本書の問いもまた、読者である私たちに開かれていると言えよう。

虚構の持つ現実形成の力 ★★★★★
 本書は、パリ第八大学心理学部助教授である著者が、主として「民族」を分析の中心に据えながら、「集団」現象について論じた本である。そもそも記憶と忘却・歪曲は不可分の関係にあり、そうした記憶と不可分の関係にある民族同一性も虚構に支えられた現象であるが、まさにその虚構のおかげで現実が生成されている。本書の内容をやや単純化して言うと、このようになるだろう。私は最初表題のみから判断し、あまり読む気がしなかったが、薦められて読んでみると、近年稀に見る興味深い本だった。
 本書には鋭い指摘がいろいろあるが、とりわけ興味深いのは、本書の究極の意図が「集団」一般の解明にあることである。かつてアンダーソンの『想像の共同体』を読んだとき、私が感じたことは、日本の場合同じことが政党や会社組織にも言えるのではないか、ということであった。事実、成田龍一氏はアンダーソンの方法を地方研究にも適用している。グローバリゼーションが叫ばれ、国家のみならず地域や超国家組織、NGO等の多様な共同体の意義が再評価される中、こうした方向性は重要であると思われる。本書はこうした方向性を、理論的に提示することに成功したといえよう。