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はじめての部落問題 (文春新書)

価格: ¥767
カテゴリ: 新書
ブランド: 文藝春秋
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そもそも部落とは何なのか? ★★★☆☆
私が学生であった時代、部落とは江戸時代に身分制度の中で民衆のフラストレーションのはけ口として幕府が意図的に作った最下層の身分であると教わったが
しかし実際は幕府はそのようなものを意図的に作ったわけではない
士農工商の身分制度にしても、職業を区分するとの意味あうが強く、一概に上下関係とばかりは言えない部分もあった。

現在、被差別部落を構成する人たちのルーツは、江戸時代より遥か以前、鎌倉・室町時代にまでさかのぼる。
その当時、現在まで続く日本の社会システムが成立したが、その過程でさまざまな理由で取り残された一部の人たち
それが被差別部落のルーツとなっている。
農地を失い放浪生活を余儀なくされた農民とか、旅回りの芸人とか、それぞれ理由が違うが、社会からはみ出した人たちが部落のルーツとなった
だからこそ、この問題は根深いのだ。

部落差別は現実に現在でもあるとは思うが。
しかし少なくともイデオロギーの材料にされ、幕府が意図的に作ったと歴史を歪めるのは良くはないだろう
幕府が意図的に作ったとは、権力者を危険視するために作れられた左派革命思想から来ている虚言に過ぎないのだから
当時の状況を見れば、幕府側はむしろ部落差別の解消に乗り出した形跡するある。
こうした差別問題は権力がどうのではなく、人間のもっと深いところに根ざした問題と考えるべきでしょう
差別の本質 ★★★★☆
同和関係者による事件が続いた昨今。考えてみれば同和問題については学校で習ったことしか知らないので、手に取ってみた。

結婚差別の実例が本書で取り上げられているけれど、実際自分の子供(いないけど)が結婚するとなったらどうなんだろうと考えて見てもよくわからない。まったく想像がつかないというのが本音です。本書では問題の所在を知ることは大切だと説くけれど、知らないというのも一つの方法だとは思う。もっとも、結婚差別事例でも、本人は気にしていなくても、差別感情を持った親族などのプレッシャーに結局負ける形となっていた。これは知らなかったことの弱さなのか、知っていたら防ぐことができたのか…よくわからない。

いやな言葉だけど「人間は差別したがる動物だ」という言葉を思い出す。いじめ問題の本質はそこなんだと思う。

なお、本書で自民党の麻生が総裁選に際して部落出身の野中のことを「あんな出自の人間が総裁になるべきではない」と発言したということを初めて知った。麻生のひずんだ口元を思い出す。そんな人間が閣僚を務める美しい国。嗚呼。
偏りのない良書 ★★★★★
 被差別部落出身の筆者が、感情的になることなく今も残る部落差別の現実について分析している。
 被差別部落出身ということで、「もっと怒りをあらわにしてもよいのに」と思うほど、筆者は冷静である。そのことが逆に「もっと国民が部落差別に関心をもち、差別をなくしていかなければ」と強く感じた。
 同和教育、同和行政についてはさまざま考え方があるが、本書は中立的な立場で、部落差別解消に向けての課題が記されている良書である。
はじめて用 ★★★★☆
部落出身の著者による、部落問題の入門書。
次々と明らかになる、団体による利権絡みの事件から部落問題に入ると、
部落に対して、暴力的な偏見を持ってしまう恐れがあるが、
本書はそういったネガティブな側面には触れず、
差別問題の1つとしての部落問題を「知ってもらう」という立場で書かれている。

部落問題についての意識は、地域によってかなりの格差がある。
著者は同和教育をするから差別がなくならない、という意見に反対している。
とはいえ、生半可な教育では、むしろ差別は広まるばかりである。
幸い本書は、部落についての偏見をうえつけないよう配慮されてはいるが、
同和教育の是非についての議論がやや足りないと感じた。

読みやすく、おしつけがましさも無いので、
これから部落問題に入る人にはお勧めできます。
これでもマシ? ★★★☆☆
著者の『被差別部落の青春』が,この種の本にありがちな悲壮感のない,素直な問題提起の本だったので期待したが,やっぱり理論的な限界を感じてしまった。はたして著者の言うように,今も残る部落差別や部落タブーの責任は,基本的に「部落外の人々にある」,などと言えるのだろうか?なぜ未だに部落差別が残っているのか。この本には,もう二〜三十年も前から公然と囁かれてきた運動団体や同和行政の問題に応えようとする基本的な構えがない。世間の人たちは正確に,そういうことを見ているのだ。その中で部落差別も続いてしまう。もう二十年も前に『同和はこわい考』の著者である藤田敬一氏らが警鐘を鳴らしてきた運動側の腐敗・退廃に口をぬぐったまま,いくら部落をタブー視するなと言われても,「こわい意識」を持つ人々には説教強盗の説教のようにしか聴こえない。『同和はこわい考』が問題提起した「悪循環」を断ち切る道は,残念ながら今となっては,共産党系の人々の提案を正面から受け止めるしかないだろう。いまいましい限りだ。