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ドキュメント死刑囚 (ちくま新書)

価格: ¥777
カテゴリ: 新書
ブランド: 筑摩書房
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死刑について、考えさせられた。 ★★★★☆
この本を読むまえまでは、悪い事をしたので償いとして死刑などは当たり前だと思っていたが、この本よんでからは、反省もしないでただ、絞首刑視してしまうなんて、遺族の方もどううして殺されなければいけないのかもわからず、この世からいなくなるなんて、無責任だと思う。宮崎勤も真実を語らず死んでしまう、小林馨は死刑を待ち望んでいたなど、到底知りえないことだった。死刑囚の心理にいくらか踏み込み、取材を重ねているので、死刑について考えさせられる本です。
死刑囚の素顔を知り、死刑に対して改めて考える ★★★★★
 ジャーナリストである著者が、宮崎勤、小林薫、宅間守といった、
世間を震撼させた殺人犯たちとの文通や接見あるいは弁護士等を通じ
た情報収集に基づくドキュメント。
 マスコミの一面的な偏向報道では窺い知ることのできない、事件へ
と至る経緯から拘置所における様子、死刑執行までを追いかけ、凶悪
殺人犯のリアルな素顔に迫る。

 著者は中立的な表現を保っており、死刑制度の是非やその在り方に
ついて、どうすべきかという判断を示してはいないが、自然に読者に
問題を提起し問いかけてくるような内容になっている。そのため、死
刑囚の状況について単に裏側を知るということに留まらず、死刑とい
う制度について否応なく考えさせられる書となっている。

 かく言う私は、死刑制度に対しては「肯定」という単純な考え方し
か持ってこなかったが、この作品を読了し、考えが90度変わった。
90度であるのは、死刑制度を肯定とも反対とも判断できなくなった
ためである。
 ただ、この作品を読んで間違いなく言えると感じたことは、凶悪殺
人に至るには必ず原因があるということだ。それは、他人には理解し
がたいこともあるだろうが、原因やきっかけがあるものだ。それを、
マスコミの報道のように一面的に先入観を持って捉えず、よく考える
ことが重要なのではないだろうか。
考えさせられました。 ★★★★☆
読んだ感想は、非常に重い内容です。
ドキュメントと言うだけあって、実際の死刑囚の文章が一部公開されており、本当に恐ろしいと思いました。
取り上げた死刑囚も誰でも聞いたことがある事件の犯人です。
宮崎勉、小林薫、宅間守、林眞須美。
林眞須美に関しての文章は少ししかありません。
特異な事件だからでしょうが、彼らに反省と言うことは無いと思いました。
著者はプロとして別の思いがある様ですが、素人の私はそう感じました。
死刑が最良の罰なのか・・・難しいと思います。
実際、それしか罰として与えることが出来ないでしょうが、それ以上の罪を犯した彼らには、死刑では足りないと思いました。
被害者の方々を思うと、言葉にもなりません。
その中で、宅間守。
獄中結婚をしていたとは・・・・知りませんでした。
それを希望した二人の女性。
結婚した女性の文章もありましたが、意味が解りません。
文章ではまともそうなことを語っていますが、本当に意味が理解出来ません。
死を望んでいる人に、死を与える
それが罰なのでしょうか?
本当に難しいと感じました。
非・悲劇 ★★★★★
著者が選んだ死刑囚たちは、決して「悲劇の主人公」にはなり得ない人間だった

彼らには、悲劇を彩るべき要素といったもの、例えば貧困、復讐心、嫉妬、それらのものがまるでなかったのだから
彼らにあったのは、常識では考えられない「歪み」
あるべき人間の姿からはあまりにも外れた倫理観と道徳観だった
その中心にいるのは「自分」だけ
彼らにとっては「他者」も「社会」もあってないようなものであり、その存在は「自分」が「自分」でいることを許さない、肌触りの悪い下着のようなものであったのだろう

だから彼らはそれをまとうことを嫌った

そして私たちは「裸」のままでいる彼らを忌み嫌う
それは歪みきった本能を丸出しにして腐臭をまき散らしながら歩いているようなものだからだ

しかし著者はその腐臭の原因を探ろうとする
彼らがなぜ下着を嫌うようになったのか
そして見つけた要因が「家庭崩壊」と「そこにおける暴力」だった
父親と母親が相応の役割を演ずることがなく、死刑囚たちは子ども時代に「社会」の縮小版である「家庭」を知らずに育つ
そこであるべき役割分担、義務と権利、責任と自由、
そういった社会的な規範をまるで学ぶことなく彼らは成長した

特に考えるべきは各種の暴力だろう
身体的のみならず、無視や過度の束縛も暴力の一部である
幼少期からそういった暴力を受け続けていると、極端に依存心の強い、自我の曖昧な人間ができあがる
彼らは自らのその曖昧さに怯え、それを解消するために、何らかの具象的な影響力を及ぼさずにいられない

目に見え、社会に己の存在を知らしめる、最も短絡的な方法
それが、犯罪だ

現代的な「非・悲劇的」犯罪の最大要因は家庭内暴力なのだ
これはほんとうに、もっと注視、重視されていい社会現象なのに、現実がそうでないことがもどかしい
 
量刑で犯罪抑止か? ★★★★★
よく言いう見解が分かれる重要な部分だとおもうが、死刑が犯罪の抑止になっているというが、果たして本当にそうなのだろうか?
筆者は決してそうは思わない。なぜなら司法がその役割を果たそうとしないからだ。
裁判員制度も問題が多いというが、本質論のすり替えにほかならない。
一般市民が被告人(容疑者)を裁くと言うことがどのようなことなのか?メディアという「第四の権力」が予断を与えはしないか?など問題は山積だ。司法が真実を検証し再発防止のために立法府や行政が足並みを揃えれば本当の意味での犯罪防止(犯罪を犯しそうな人を抑止するのではない)につながらないだろうか?
病みきっている社会がある一定の不逞者に犯罪を犯させるということにも一理あるのではないかとおもう。
死刑は国家による殺人と言われる。が、死刑囚から言わせると「殺される刑罰(宅間守談)」なのだ。そのなかには、司法がいたらないばかりに冤罪によるものも含まれる。