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自閉症裁判―レッサーパンダ帽男の「罪と罰」

価格: ¥2,301
カテゴリ: 単行本
ブランド: 洋泉社
Amazon.co.jpで確認
2001年に起きた、浅草女子短大生殺人事件。奇妙なレッサーパンダ帽をかぶった男が犯したこの殺人事件は、なぜ単なる「凶悪な通り魔」による殺人事件として処理されてしまったのか? 被害者の遺族、加害者の生育環境や裁判記録など、さまざまな側面から事件を取材し、自閉症の青年が起こした凶悪犯罪の取り調べ、裁判の難しさ、そして当人が罪の重さを自覚することの重要性を訴える問題提起の書。 --このテキストは、絶版本またはこのタイトルには設定されていない版型に関連付けられています。
発達障害 ★★★★★
自閉症裁判。レッサーパンダ帽男として有名になった事件のノンフィクションです。自閉症や発達障害などの精神障害者の問題を様々な角度から、書いています。特に事件の取り調べや裁判の経過などが詳細に検証されていて、読み応えがありました。発達障害の人の供述や証言をどう理解したら良いのか考えさせる本でした。著者は養護学校の教員としてのキャリアがあるため、そちらよりに立ち位置が傾いているのは、しょうがないと思いますが、できるだけ、中立性を保とうと、弁護士、被害者側、加害者家族の状況をきちんと描いていて、良い本だと思いました。自閉症や発達障害についての解説はやや拙さを感じますが、彼らの置かれている状況はよく描いていたと思います。障害者との共生について考える時にとても参考になる本だと思いました。お薦めします。
広く一般の人に読んでほしい。 ★★★★★
数年前の事件とはいえ司法の無知にはあきれてしまう。発達障害や高機能自閉についての知識がほとんどなかったことに驚きを覚えるし、そのことを学びこの事件の本質を明らかにしようという努力がなされなかったことにあきれてしまう。
一人の罪もない女性の命が簡単に奪われたことの憤りは禁じえないし量刑についても異議はない。
しかしこの裁判で述べられたことが真実だとはとても思えない。この裁判が今後のこのような事件の再発防止の指針にもなりえたにもかかわらず、まるでとんちんかんな殺害動機や判決理由には情けなくなってしまう。加害者の障害については見ただけでもわかりそうなものではないか。
いま世間ではKYとか言われ馬鹿にされている人の中に発達障害の人も多くいるのではないかと思うと悲しい気持ちになる。心ない言葉だと思う。
一般の人に発達障害や高機能自閉のことを知ってもらうためにもこの本を読んでもらいた。
またそれらの障害が具体的にかかれ解説されているので事例として読むこともできると思う。
また妹さんのあまりにもふびんさに涙がとまらなかった。
最後に生きている喜びを少しでも味わえたのが救いだった。ただそれが尊い女性の命と引き換えだというのがたまらなく悲しい。
いったい福祉はどうなっているんだという憤りを覚える。
もちろん頑張っている人もいるのはわかるが、もうちょっとどうにかならないのかというのが素直な感想だった。
「生」と「死」 ★★★★★
妹。
私が一番印象に残ったのは、罪を犯してしまった妹である。
妹は、ガンという病気と戦いながら家族を支えてきた。
父は浪費家。
兄は自閉症。
そのうえ、女子大生を殺してしまうという大きな過ちを犯した。
兄にお金を工面したのも妹。
普通、ガンという病気であれば、養生するのが常である。
しかし、父はお金を無駄に使ってしまうし、兄に必要なときにお金を使うなど、
妹の生活、いや人生は壮絶を極めた。

妹は、ガンという病気と戦いながら、「共生舎」の支援の下、生きる。
今まで楽しいことはなかった、と語った妹ではあったが、
「共生舎」という支えがあってからは、たくましく生き、
そして、人生が楽しいと思えることがあったように思う。

兄は自閉症であり、女子大生を殺してしまった。→「生」
妹は人生の大半を苦労し、ガンによりなくなった。→「死」
被害者の女性も刺されて命を落とした。→「死」
「生」と「死」とは何か、ひじょうに考えされられた。

また、被害者に対する社会支援がないということも目に付いた。
裁判が進み、刑が確定するが、被害者にはどのような支援があったのか。
刑が確定することは、被害者に報告するという観点で見ても
必要なことであるが、具体的な支援策はどこを読んでも見当たらない。
社会、国が「被害者」に対して支援をすることが大切だと痛感した。
こういったことも、国が整備していく必要があると感じた。
異邦人 ★★★★★
 奇しくも「良心」を表す英単語(例えば仏語もまた然り)conscienceは、その語源を
ラテン語com-scientia、すなわち「共に」「知ること」に持つ。

「良心」が欠けている、との表現はあまりに危険、ただし悲しいかな、この世には事実、
こうして知を「共に」分かち合うことの外側に置かれた「異邦人」が存在してしまう。
 先天的な脳障害か、後天的な社会性のインストールエラーか、今なお原因も症例も
判然としないところはあるが、いずれにせよそんな「異邦人」は時に「自閉症」と呼ばれ、
そして、本書の主人公である通称「レッサーパンダ帽男」もまたおそらくはそのひとり。
 所持金はわずか600円、しかし男はなぜか200円を割いて包丁を購入し、その包丁を
とある女性にちらつかせた。その理由について本人曰く「友だちになりたかった」から。
そうした行為の果て、ひとりの女性を殺め、しかし彼はひたすら「分からない」を繰り返す。
 どうやら、彼の論理は「共通知」の外側にあるようだった。
 いみじくもアルベール・カミュは言った、すなわち、母の死に際して一滴の涙も流さぬ者は
[つまり、感情論理に服さぬ者は]この社会からいつ排除されないとも限らない、と。

 ただし、この事件に際して、検察も、警察も、果ては裁判所までもが己の外側にあるものを
黙殺した。この事件はすべて彼らの論理に従って判断された。彼の世界を理解せよ、とは
あまりに過酷、しかし、この法廷においては、理解できない部分があることを理解しようとする
その努力すらも放棄されていた。いずれにせよ判決は既に確定し、現在彼は刑に服している。
 排除か、共存か。
 例えばこの事件が社会に突きつけたもののひとつはそうしたあまりに重い選択だった。
 この問題を各人が考えるに際して、本書は必ずや参照されねばならない一冊。

 もしこの裁判を単なる彼方の他人事と決め込むのならば、それは偏に鈍感の極み。
 デュープロセスの本義を知らぬこの国にあっては、自らの主張を黙殺されたまま、
いつあなたが「異邦人」として権力の一方的な理屈の下で葬り去られるとも知れない、
本書はそんな危機を正確に指摘してみせた一冊でもある。
発達障害との関わりを社会はどう持てるのか ★★★★★
少々記憶が遠くなったレッサーパンダ帽男の事件を追った同名ドキュメントの文庫化です。
発達障害を抱えた子供を抱える親として他人事ではなく読みました。実際の事件があったころは私の子供はまだ障害が顕在化しておらず、そのころは問題の深さ、難しさを認識していませんでした。発達障害を持つ人間だからといってもちろん罪が許されるわけはなく、かといって障害を持つ加害者を厳罰に処しても本人が認識できない難しさをどう捉えて行ったらいいのか。
この事件の被害者、遺族の感じる理不尽さ、悔しさは加害者を殺しても飽き足らぬ感情として理解する一方、加害者の妹の凄惨な境遇には涙なくしては読めませんでした。
最近起きたゆきまろちゃん殺害事件の加害者も発達障害を抱えていました。捜査員の質問には素直に対応しているようで、このように見ず知らずの人間に素直に対応できるように発達生涯の子を育てるのは並大抵の苦労ではない。もちろん何らの言い訳にはならないが、似た傷害を抱える子の親として加害者の家族の心労は察して余りあります。
繰り返すが、この本にも書かれているように障害の有無は決して罪を軽くする言い訳にはなりません。でも発達障害を抱える本人とその家族の苦しみ、それを救ってはくれない行政と福祉のあり方、再発防止のため、社会はどうかかわっていくべきなのか。どうか一人でも多くこの本を読んで考えてもらえれば、と思います。