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戦後責任論 (講談社学術文庫)

価格: ¥1,008
カテゴリ: 文庫
ブランド: 講談社
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西尾幹二氏らに対峙する意見として、参考にはなりますが・・・ ★★★☆☆
戦後に生まれた世代の、戦争に対する責任のあり方を問うたものである。
以下に論旨を要約する。

 戦後生まれの日本人には、戦争責任はない。
 しかし、日本国民である限りは、アジアの戦争被害者の声に応える責任がある。
 責任とはすなわち、Responsibility=応答責任のことである。
 なるほど、我々はアジアの戦争被害者の呼びかけを無視することもできる。
 しかしそれはアジアの人々と関係を拒否することである。
 それで果たしてアジアの一員としての未来が開けるのであろうか。
 この「応答責任」を果たすことこそ、戦後責任を全うし、戦争を終結させる道である

この論旨自体にはそれなりに説得力はある。まっとうな意見だと思う。
しかし、本書全体にはかなり問題がある。

まず、アジアの戦争被害者とは、本書ではイコール従軍慰安婦のことである。
高橋氏は、西尾幹二氏や藤岡信勝氏ら慰安婦否定派に徹底的な批判を加える。
本書の内容はほとんど、この批判に尽きる。
しかし高橋氏自身は、従軍慰安婦の強制連行が事実である根拠は何も示さない。

更に、日の丸や君が代は反対、天皇制だって廃止せよという。
自分のアイデンティティの中心が日本人にあるとは思っていない、ともいう。
しかし、日本人であることに誇りを持っていないのなら、
いったい何のために日の丸や君が代に言及しなければならないのだろう。

もっとも疑問におもったのは、戦後生まれの高橋氏にとって、
この問題がリアリティを持ちえるのか、という点。

頭のなかだけでこさえた問いには血が通わない。
せめて、なぜこの問題をとりあげたのか、
高橋氏自身にとって、この問題がどれほど切実なのか、
それを示してほしかったと思う。

「靖国問題」はそれなりに良かったが、
本書は期待はずれであった。
戦後責任 ★★★☆☆
日本の戦後責任について、思想的立場から論じられています。事実についての論議は少なく、戦後の責任について、どう考えていけばおおのかということが主に論じられています。哲学的なので、難しさを感じたのと、やや机上の空論的な印象を受けてしまいます。
寛容の上に成り立つ愛国 ★★★★★
非常にバランスが取れた本。

もちろん、戦後責任をめぐる日本の姿勢に批判を
展開しているというところに結論があるという時点で、
ある種の色がついた書であることは論を待たない。

だが、それでいてこの書が均整を保ちえているという
所以はやはり、異質なるものに対して、真摯且つ紳士的
に向き合っているという点にある。

他者を攻撃するという視点に立つのではなく、あくまでも
正当なる言論という手段を持ってして、且つ倫理的に応答
するという知識人が持ちえるべきマナーを兼ね備えている
時点で品があるといえるのだ。

保守的な論調に良く見られるような、他者への寛容を欠いた
排撃的且つ侮蔑的な論考は、本編を通して一片も見られない。
それは、対象がどういうものに対してであれ、一貫していえ
ることである。

こういった姿勢が良識派と目される所以なのであろう。
それはひとえに戦後責任=他者への応答可能性としての責任
と考えている思慮深い温厚な精神から発せられるものである
ようにも思われる。

と同時に、筆者が哲学者であり、倫理的な観点で論理を持っ
てしてものごと考えるということも関係しているのかもしれない。

いずれにせよ、寛容の上に成り立つ愛国といったものこそ
が現代日本において真に求められる態度である故、日本を本当に
愛するものこそがこういった書を読み、戦後責任に真摯に向き合う
必要があるように感じられる。
レキシギロンもどき ★☆☆☆☆
歴史事実に関する議論は全くされていない。(論敵に対する無意味な言葉遊びは沢山ある)
著者が唯一議論できそうな問題はいわゆる「従軍慰安婦問題」であるが、それすら粗末に過ぎるであろう。「従軍慰安婦問題」などすでに議論すらされなくなっているにもかかわらず、この書においては既に偽証、間違い、勘違いが明らかになっている元慰安婦への正当なる批判さえ悪意の産物であるかのように批判されている。
自由主義史観への批判もただ、無意味にネオナチと比較し類似点を指摘するという印象操作に終始している。

責任論に関して結論が議論の先にあるころは明白なのだが、ポストモダニストの常套手段、つまり煩雑な観念論によって理が通っているようにみせるという手法がとられている。
「政治的共同体」などと口にする人間に、国家の歴史的責任などを何十年説かれたとしても一握りの説得力ももたないだろう。

また、責任に関しては個別の事件に関する責任と、戦争全体に関する責任は分けて議論すべきである。細かい事件を誇大宣伝して戦争責任なるマクロな問題に飛躍させ、そのまま「戦争=犯罪」、「日本人=加害者」、「アジア人=被害者」なる幼稚な認識に基づき議論されたのでは話にならないではないか。

クリストファー ソーン著 「太平洋戦争とは何だったのか」
秦郁彦 「慰安婦と戦場の性」
仲正昌樹「なぜ「話」は通じないのか」第3章、「歴史と正義」第2章

でも読んで「客観的」という言葉の意味と、何よりまず先に事実を知ることの大切さを知るべきである。