商周革命を商の視点から描いたデビュー作
★★★★★
宮城谷昌光氏のデビュー作品。本作が世に出るまでの苦労があとがきに触れられています。
時は紀元前1千年、中華の覇者となり栄華を極めた商の宰相、箕子。彼の目を通して、商の繁栄とその滅亡までを描いていきます。いわゆる商周革命を描いた同じく宮城谷氏の「太公望」とまったく時代が重なっており、しかも、敵味方それぞれ逆の立場を主人公にしている点で、2作品をセットで読むとより楽しめると思います。
特に、本作品における太公望は、現行政権の転覆を図るレジスタンスの策士、といった趣で描かれていて、「太公望」での描かれ方とはまったく異なる点は興味深いです。(歴史小説家はややもすると人物への評価をよくも悪くも固定化しがち。例:司馬による乃木将軍、塩野によるカエサルなど…)
ちなみに、宮城谷作品を読み始めたとき、「なぜわざわざ難解な単語、漢字を使うのか」と疑問に思いましたが、あとがきで触れている著者の「漢字」に対するこだわりを読んで納得がいきました。
宮城谷昌光最初期の作品
★★★☆☆
今まで「子産」「重耳」「管仲」「天空の舟」「晏子」「華栄の丘」と読み進んできましたが、本作品はどれとも異なった印象を与えます。古代中国史を描いた意義深い作品で、登場するのも有名な人物が多くオールスターキャストといった感じでした。ほかの方も指摘されていますが、多様な登場人物だけに的が絞りづらく、また主人公の内面の描き方も通り一遍で、事件の列挙といった感じです。辛口の批評で恐縮ですが、ほかの重厚な宮城谷作品とはちがった風合いでした。最初期の作品ということで、歴史的研究は詳しいのですが、個人的には、小説としてはこなれていない印象を受けました。
商王朝の興亡と遺産
★★★★★
本書は商(殷)王朝の興亡・盛衰から周王朝黎明期までの時代を背景に様々な人物が織り成す物語を描いた作品です。
帝乙の実弟にして北の異民族(土方・鬼方)から版図防衛の為懐柔策を弄する等革新的思考の持ち主であった箕子(胥余)、英姿颯爽・武勇旺盛でありながら酒池肉林の暴挙・故事で後世まで語り継がれることとなった帝辛(紂王)、質実剛健な性格故に最期には誅殺の憂き目に遭遇した干子(比干)等主に殷王朝側の人物を軸に物語が進行していきます。
「国家は人によって運営される」という概念が存在せず祭祀を中心に繁栄を遂げてきた商によって甲骨文字や(貝を用いた)通貨制度が生み出され、その文化の継承と進化は現代に生きる私達の生活の素地として多大なる影響と恩恵を与えてくれています。また商いで生計を立てる者が「商人」と呼称されるように至ったのもこの時代経過の象徴であり、由来は「商国出身者達が賈を一般社会に定着させた」という背景にあるようです。
時代設定が古代中国ですので伝説的な逸話や地理的に不明瞭な部分も多分に含まれていますが、さらに読者の想像力を駆り立ててくれる長所にもなっているように思います。
宮城谷氏の著作には商王朝創始の立役者伊尹を描いた『天空の舟―小説・伊尹伝』、また本作品と同時期を呂尚を主人公に周王朝成立側からみた『太公望』等もありますので、併せて読むと夏・商・周王朝の歴史の概略を知ることが出来ます。
古代王朝絵巻
★★★★★
これは、歴史物語として、とても面白かったです。中国の古代王朝、商、周を中心とした古代王国の盛衰。攻防を描いた物語です。古代中国人の人生観や、駆け引き等物語として、とても面白かったです。短編集風に、エピソードごとに書かれていて、読み易くもあり、舞台劇風でもあり、それも各逸話に余いんがあって良かったと思います。歴史に基づいた話ですが、読み物として、大変面白く、お薦めします。やや長めですが、読み易いです。漢字が難しいですが、それには味があり、割となじめるものと思います。
古代神権政治に光をあて
★★★★☆
宮城谷小説の面白さは、筆者が漢籍を隅々まで研究していること、そして漢字に対する造詣の深さにある。単に史記だけを下敷きに書いているのでなく、諸籍に分け入りながら三千年前の歴史に光をあてていく。
この小説は、周王朝誕生神話の時代に焦点を当てながら、滅びる側の受王(紂王)や宰相箕子を主人公にして描いていく。特に悪王の代表格とされる「殷の紂王」を革新的な集権政治を目指した者とするなど、後世の勝者史観にとらわれない描き方ができるのは筆者ならでは。
興味を引いたのは、筆者が殷(商)を神権的、周を哲学的と分析している点。商は古代ローマやユダヤのように民族神を政治の中心におき、これに対して周人は鬼神を語らず、道徳を政治の主軸に据えた。その後主流となったのは周側の儒教だから、周商革命は東洋精神史の基盤を造った、といえるのかもしれない。
商や古代ローマのように、民族神信仰が支配民族の開明性を支え、世界を支配する論理となりえたのは、やはり古代ならでは。古代神権政治をおどろしいものと描いたのは儒教やキリスト教側に立つ後世の歴史家たち。そういった後世の勝者史観を取っ払って「殷の紂王」のナマの姿に挑戦したところに、本書の面白さがあると思った。