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定本 柄谷行人集〈2〉隠喩としての建築

価格: ¥2,730
カテゴリ: 単行本
ブランド: 岩波書店
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柄谷行人2 「命がけの飛躍」 ★★★★★
(人生の)問題が解決するのはその問題が消滅したときだ、とウィトゲンシュタインは言っていますが、本書の「教える」「売る」という立場は、氏にとって、まさにそのような、それ以前の問題を「消滅」させてしまうような発想の転換だったに違いありません(当時、「教える」「売る」に到達する以前の氏は、ある種のノイローゼ状態にあり、かなりキツイ精神状態だった、と回想していたと記憶します)。これほど鮮やかな発想の転換が試みられたのは、世界でも余り例がないのではないかと思います。

とはいえ、現在の私には、氏の論じる「他者」でもまだ不充分ではないか、という思いがあります。規則を共有しない子供・言葉を理解しない外国人を、柄谷氏は「他者」の代表として挙げています。が、規則を共有し、言葉を理解し、同じ共同体に属していても、理解し合えない人たちが存在します。規則は知っているが守らない、とか、言葉はわかるが聞きたくない、という人たちです。戦争を例にとれば、彼らに、国際ルールを守れ、とか、和平のために話し合え、と言ったところで、余り効果はありません。そもそも、もし国連の声に耳を傾けていたら、戦争などはじまるはずがなかったのです。彼らは、規則を知らないのでも言葉がわからないのでもなく、理解したくないのです(このような人間たちの愛憎劇を一番見事に、的確に描いた作家が、シェイクスピアです)。ーー子供や外国人には、まだ<つける薬(命がけの飛躍)>が期待できますが、このような人たちに<つける薬>はなさそうです。<つける薬>のない相手と、どう向き合うか? 

「幸福な人の世界は、不幸な人の世界とは別の世界である」(「論哲」6・43)。ウィトゲンシュタインの言う<言語ゲーム>は、規則や外国語に限られていません。
柄谷の隠喩としての建築は ★☆☆☆☆
本屋でパラパラめくってみたことがあるが
なんだよあれ。
なんであんなこと今更問題にしてんのか。
分哲が20世紀初頭に通ったとこじゃん。
reviewed by ゲソヲソ 04/06/11 01:50
全くの別物 ★★★★☆
 この著作集は「外国語で出版された、あるいは今後出版される予定の作品を
集めて思う存分に加筆」したものである、と帯にあるのだが、一読、驚きに包
まれた。20年前に出た作品とは、まるで違った読後感を与えるのだ。内容
は、80年代初頭に書かれ、83年と85年に日本で出版された2冊の著作(『隠喩

としての建築』と『内省と遡行』)をまとめたものである、と一応は言えるの
だが、文体が歴然と異なっている。ダイエット食品の使用前と使用後、といっ
た感じである。すべては、ぎりぎりまで削ぎ落とされている、という印象を与
える。思考に速度があり、絶えず最短距離を踏破しているのだ。これは別物、

である。帯の最後にある通りだ、「この度、初めて存在するに至った著作であ
る。」と。
 著者は一体何を使用したのであろうか?
この著作集の第3巻として出版される『トランスクリティーク』であろうとい
うのが私の推測なのであるが、それはまあどうでも良い。最後の第三部は
2001年10月初版の『トランスクリティーク』とオーバーラップしているのみ

ならず、ところどころ追い越しさえしている。そして、この傾向は第一部と第
二部にもまた言えるのだ。『トランスクリティーク』の認識を得て、20年前
の試みはそのポジションを明確にし、さらにはその認識を踏み越えていく、新
たな助走路と化している。