こうした指摘は、一般化した思い込みを揺るがす。例えば、農民は土地に縛られたイメージがあるが、実は交易のインフラが確立し、共同体が自給自足の条件を相応に整えた近世以降でなければ、土地緊縛は完成していない。また、戦前日本を象徴する家父長制的家族秩序と、それが社会的に拡大された「タテ社会」の論理も、多くは武家社会に発達したものを明治国家が近代化の過程で拡大していったもので、「大昔からあるように思うのは、大きな錯覚」ということになる。また、共同体での実際の意思決定のプロセスを詳述した「ことよせの論理」についての一連の考察でも、長老がしきたりを一方的に押し付けるだけ、と思われがちな村の寄合いが、実はある意味で民主的な意思決定プロセスとしてワークしていたことが示される。イデオロギーに囚われない学者の硬骨さとは、まさにこういうものであろう。